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立教大55年ぶり箱根駅伝ゴールでも…「自分たち4年生は何か残せたのか?」誰も走れなかった“最初で最後の箱根”、4年生キャプテンの苦悩
posted2023/01/19 17:05
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
JIJI PRESS
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1月3日、箱根駅伝のフィニッシュ地点、東京・大手町にある読売新聞本社前に、立教大学の主将、ミラー千本真章の姿があった。
「たぶん、上野(裕一郎)監督の配慮だと思うんですが、僕と副将の金城(快)がアンカーの安藤(圭佑・2年)を迎えることになったんです」
55年ぶりに箱根駅伝出場を果たした立教。主将のミラーはサポートメンバーに回り、5区の5km地点での前方とのタイム差確認、7区で服部凱杏(3年)への給水、そして大手町での出迎えを担当した。
「立教にとって初めてのことばかりで、主務も『すべて準備はしたつもりだけど、これが正解かどうか分からないのが不安』と話してました。僕も5区では前とのタイム差を掲示しなければいけなかったのに、携帯がうまくつながらずに苦労したり、仲の良い服部がグータッチをするために拳を出してくれたのに、『あれ、水が欲しいのかな?』と慌ててしまったり。服部とは仲が良いので、何か言葉をかけたかったのに、向こうからかけてもらっちゃいました(笑)。給水のあと、大手町には電車で向かったんですが、応援がすごかったです。これは青学よりウチの応援の方が多いんじゃないかというくらい。電車でも『立教頑張れ』と声をたくさんいただきましたし、改めて箱根駅伝の影響力の大きさを実感しました」
「自分たち4年生は何か残せたのかな?」
ミラーがサポートに回ったのは、16人の登録メンバーにミラーをはじめ4年生の名前がなかったからだ。
「10月の予選会の時点でも、4年生は走れませんでした。ただ、僕は6区の山下りを志願していて、10月、11月と自分にとって出来る準備はすべてしたつもりです。下りの適性を見極める部内タイムトライアルもありましたが、陸上は実力の世界ですからね。メンバーには入れませんでしたが、キャプテンとしていい形で箱根駅伝を迎えられるようにしたいと思っていました」
それがなかなか難しかった。特に、登録メンバーが部内で発表されたあと、16人のメンバーは沖縄で強化合宿を張った。新座キャンパスにある合宿所に残ったのは5区、6区の特殊区間要員とメンバー外の部員である。