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2度の流産、死産…“最後のアイドルレスラー”納見佳容(46歳)が初めて語る“壮絶な引退後の日々”「罪悪感に苦しみ、何度もスーパーで座りこんだ」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byYuki Suenaga
posted2023/01/18 11:03
2004年の引退後は不妊治療を経て、流産、死産も経験。納見佳容さんが、メディアに初めて明かした
――気持ちが落ちた、と。
納見 何年もダメでした。ちゃんとした言葉でいうと、「人工死産」なんです。赤ちゃんが亡くなってしまったんではなくて、自分の判断で妊娠を中断させて、終わりを決めたことへの罪悪感に苦しんでいくんです。お腹のなかで最後まで育ててあげるお母さんもいるのに、自分はなんでがんばれなかったんだろうって許せない気持ち。んー、やっぱり重かったですね。いろんなことが怖くなって、不妊治療も続けられなくなりました。そこから体調不良が続いて、メニエール病と診断されて。日中は息子の幼稚園があるから外に出るけど、夜がとにかくつらい。寝られないし、めまいや吐き気もある。めまいは昼夜関係なく襲ってくるから、何度スーパーで座りこんだかわからないし、不安になって過呼吸を起こす毎日。
9年越しに、納見が口を開いた理由
――どうやって回復していったんですか。
納見 時間の経過と、環境を変えたいっていうことで、息子が小学1年生になるタイミングで神奈川県に移ったんですね。田舎で、自然が多いところに。もしかしたら、それが転機になったかもしれない。
――つらいことを口に出させてしまって、申し訳ない。
納見 いや。当時は情報があまりにもないから、いろんな人のブログを読んで、ありがたかったし助かったから、私もこの経験を匿名でもいいから書いて、ネットの海に投げとこうって。そしたら、誰かが絶対に見つけてくれて、情報がほしい人の元に届くかもって思ってたけど、やっぱり書けない自分がいて……。9年かかって今、初めてこうやって人に話しました。
――それは、ありがとうございます。今、似た経験をしたお母さんにかける言葉があるとしたら?
納見 私は妊娠中断を選んだことに苦しんだから、ちょっと矛盾しちゃうかもしれないけど、家族やお母さんが悩みぬいて決めたことは、それが正解だって思う。自分の力だけではどうにもならないことってあるから、むずかしいかもしれないけど、自分を責めないでほしい。
息子は今春、中学生になる
――そうですね。では最後に、堀内家の現況を教えてください。
納見 私は動きだそうと思って、ウェブメディアに携わらせてもらったり、ピラティスの資格を取ったり。子どもを産む前はピラティスにはまってて、人に教えたい、勉強したいと思ってたんで、今は紹介してもらった方や知人に教えてます。あと、趣味のソロキャンプでYouTube(「kayoさんoutdoor」)をはじめて、撮影・編集のすべてを1人でやってて、すっごい楽しい。夫は、結婚したときからもう衣料雑貨販売をやっていたので、(音楽活動より)そっちがメインですね。息子は今春、中学生。友達と楽しそうにしてます。のびのびと。
――息子さんは、ママが元女子プロレスラーだったことを、どういうタイミングで知るんですか。
納見 小学3年生のとき、学校で知っちゃったんですよ。社会の授業で地名を調べようとなって、タブレットを渡されて、私の名前を調べたら出てきたもんだから、走って家に帰ってきて、「ママーッ! プロレスやってたの? すっごいねー!」って(笑)。でも、ちやほやしてくれたのは、その1日だけ。次の日には興味がない感じで、「ママの試合のYouTube観た?」って聞いたら、「1回も観たことない。ぜんぜん興味ない」って言われちゃった。
――自慢の美人ママなのに。
納見 いや、いや。あの子にとっては、ごはんを作ってくれる普通のお母さんだから。
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