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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「身体が男の子でも、心は女の子」フィギュア“世界初”14歳のトランスジェンダー選手が語る壮絶な半生「女子トイレを使えない嫌がらせも」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2022/12/07 11:01
今年10月、ジュニアGPのイタリア大会でSPの演技を披露するマリア・レイクダル。2年前に戸籍の性別を変えたマリアに話を聞いた
孤児院で初めてあった時の印象
「孤児院で3人に初めて会ったとき、彼らは全く笑わなかった。いつも悲しそうな表情をしていて、彼らがそれまでの短い人生で非常に過酷な経験をしてきたことがすぐにわかった」(グスタヴォ)
3人を引き取る際、グスタヴォとクレベールは孤児院のスタッフからジョアンが女の子の格好をしたがる傾向があると知らされた。
「我々も性的マイノリティだけど、男の子として生まれながら気持ちは女の子なのだと言われても、どういうことなのか、しばらくは理解できなかった。だから、当初は孤児院時代と同様、髪を短く切り、男の子の服を着せてしまった」(グスタヴォ)
このことは、ジョアンをひどく悲しませたようだ。
「大声で泣いていた。長い時間話し合い、また心理カウンセラーによるセラピーを受けさせる過程を通じて、ようやく我々はトランスジェンダーの何たるかを理解した。以後は、好きな髪型、好きな服装をすることを認め、女の子として扱った」(グスタヴォ)
両親は2人ともスケートのインストラクターだった
ジョアンの両親となった2人はローラースケートとインラインスケートのインストラクターで、市内に練習場を構え、子供たちにスケートを教えていた。ジョアンも自然とスケート靴が馴染んだかというと、そうではない。当初、スケートにさほど興味を示さなかったという。
「少しやってみたけれど、転倒したらすごく痛い。あまり好きじゃなかった」
ところが、しばらくすると次第に興味を覚えるようになる。
「あまり倒れなくなると、スケートが楽しくなった。自由に動けるので、とても気持ちがいい。やがて、暇さえあれば練習をするようになった」
女子シングルに出場できない問題、さらには嫌がらせも
2年ほどたったとき、両親が「インラインスケートの競技会があるよ」と告げると、「私も出てみたい」と答えた。