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「口が半開き、返事が返ってこん…」胸下不随となった上田馬之助は、夫人の愛に包まれて…妻が明かす、名レスラーと過ごした壮絶で幸せな日々

posted2022/11/22 17:08

 
「口が半開き、返事が返ってこん…」胸下不随となった上田馬之助は、夫人の愛に包まれて…妻が明かす、名レスラーと過ごした壮絶で幸せな日々<Number Web> photograph by Gantz Horie

『スナック亜砂呂』時代の上田馬之助・恵美子夫妻をおさめた一枚

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Gantz Horie

“金狼”の名で愛された昭和の名レスラー、故・上田馬之助。胸下不随の重傷を負った高速道路での事故の後、15年以上にわたる介護生活を支えたのは、恵美子夫人だった。プロレス界の壮絶な夫婦愛の物語を、「いい夫婦の日」に合わせてお届けする。(全2回の2回目/前編からつづく

 “生涯をかけてこの人を守っていく”。恵美子夫人がそう決意したのには、その1年前の大病があったという。

「あの事故の1年前、私は大腸ガンを患ったんです。3週間入院したんですけど、その間、あの人は一日も欠かさず病院に来てくれて、私の汚れた下着なんかも毎日持って帰って洗濯してくれたんです。『下着の洗濯なんて、上田馬之助がしてるところを見られたらカッコ悪いから、外に干さないように、お願いよ』って言ったら、『わかった、わかった』言うて。一日も欠かさんで、よく看てくれました。だから事故に遭ったときも、『あのときの恩は絶対に忘れん。私が生きてるかぎり面倒見るから』って。

 私が入院してたとき、先生はあの人に、私がもうあまり長くないようなことを言っていたらしいんですよ。それがこんなに長く生きられたのは、あの人の面倒を見てたから生きられたんかなあとも思う。あの人の存在がなかったら、わたし、いま頃もう……」

事故から3年4カ月後、ふたりは正式に夫婦となった

 “この人を助けたい”恵美子夫人のそんな強い思いが、生きる力へと変わっていったのだ。そして、ふたりで切り盛りしてきたお店『亜砂呂』を閉めて、生活のすべてを介護に費やすこととなる。しかし、その時点でもまだ二人は正式な夫婦ではなかった。

 上田が事故に遭ったのは大手運送会社のトラック。多額の賠償金が入ってくることを見越してか、アメリカの妻からは離婚に際して莫大な慰謝料を請求され、なかなか話が進まなかったのだ。

「こっちが毎日介護している中、前の奥さんからは『賠償金はどうなったんですか』っていう連絡ばかり来て。向こうは私が取ったと思ってるかもしれないけど、私は籍に入ってるわけじゃないし。もらえるもんですか。あの人を『絶対に向こうに帰らないで』と引き止めたわけでもないし。結局、いろいろあったあとお金で解決したんですけどね。あのときも辛かったけど、当時はまだ若くもあったので『なに、これくらいのことでくじけるもんか』って思ってやってました」

 そして事故から3年4カ月後の’99年7月13日、上田の離婚が成立する。そしてその2日後、ふたりは婚姻届を熊本市役所に提出し、ようやく正式な夫婦となったのだ。

【次ページ】 壮絶な介護生活…それでも「私たちは夢を持って生きてた」

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