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「口が半開き、返事が返ってこん…」胸下不随となった上田馬之助は、夫人の愛に包まれて…妻が明かす、名レスラーと過ごした壮絶で幸せな日々 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2022/11/22 17:08

「口が半開き、返事が返ってこん…」胸下不随となった上田馬之助は、夫人の愛に包まれて…妻が明かす、名レスラーと過ごした壮絶で幸せな日々<Number Web> photograph by Gantz Horie

『スナック亜砂呂』時代の上田馬之助・恵美子夫妻をおさめた一枚

2011年、上田馬之助が息を引き取った日

 過酷なリハビリ・介護生活の中で生まれた共通の夢。ふたりはそれを糧に日々を懸命にすごすようになった。しかし、そんなふたりの生活は、突然終わりを迎えてしまう。

「その日は朝から元気がなかったんですよ。朝食でパンを一切れちぎって食べさせようとしたら『パンはいいよ』って言うんです。でも、『朝から体力つけんと一日中ダメになるよ。それじゃ、バナナ食べよう』って、バナナを剥いて、ほんのひとかけらを食べさせたんですけど、そしたら『喉までいかない』って。食べ物がうまく喉を通らなかったみたいなんですね。

 だから『噛むだけ噛んで』って言って、野菜ジュースで流し込むようにして飲ませたんですね。そのあと口が半開きになって、『あら、どうかしたの?』って言ったら、返事も返って来ん。『あれ、おかしいな』って思ってたら、9時15分ぐらいに訪問看護の人が来たから、『口が半開きになってから返事が返ってこん』って言って。

 なんか様子がおかしいってことで救急車を呼んで、9時30分くらいに救急車が来たんですね。でも、そのとき救急車には訪問看護の人が2人、救急隊員も2人乗ったんで、私は乗れなくて、あとから車でついて行ったんです。で、あの人が病室に入るのと私が着いたのと一緒になって。病院の先生が『MRIにかけていいですか?』って言うから『どうぞ』って言って。そのあと心電図みたいなのがありまして、最初は動いてましたけど、しばらくしたらず~っとまっすぐになったんですよ。そして『ただいま10時7分、お亡くなりになりました』って……」

 2011年12月21日、上田馬之助(本名・上田裕司)死去。享年71。死因は誤嚥による窒息だった。

「あのときがやっぱり一番辛かった。座り込んで、立てんようになってしまって。あとから私、自分を責めたんです。私がもうちょっと早く気づいてたら生きとったものだと思うもんだから。『悪かったね、ごめんね、ごめんね』言うて、ほっぺたを叩いて『起きて、起きて』って言うたけど、なんの返事も返ってこんでね……。

 いまは『あれもしてあげれば良かった。これもしてあげれば良かった』って、後悔することがいっぱいある。唯一、良かったなと思うのは、まったく苦しまずに、静かに息を引き取ったことですかね。でも、淋しい。もの凄く淋しい。これでもうアメリカに行くこともなくなったなあと思うとね……」

【次ページ】 亡くなる前日、上田が妻に残していた言葉

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