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競馬PRESSBACK NUMBER
「取材者としては失格」サイレンススズカ“あの悲劇の天皇賞・秋”を現地観戦していた記者が“無くした記憶”「スズカだけのレースではない…」
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph byKYODO
posted2022/10/30 11:01
1998年11月1日、天皇賞・秋。レース中に故障を起こし、離脱するサイレンススズカ
勝ったオフサイドトラップが紡いだ物語
オフサイドトラップ(加藤修甫厩舎)の馬主はエルコンドルパサーとおなじ渡邊隆である。北海道新冠町の村本牧場の生産だが、母馬のトウコウキャロル(父ホスピタリテイ)は渡邊隆の父、渡邊喜八郎の所有馬だった。
東京都江東区で東江運輸株式会社を経営する渡邊喜八郎に話をきいたのは第一回クリスタルカップ(一九八七年。二〇〇五年に廃止)にキリノトウコウが勝ったあとだった。一九六八年に馬主になった喜八郎は、最初にもったイズミトウコウが中央で七勝をあげた。「その賞金をぜんぶつぎ込んで買った」と言うのがキリノトウコウやトウコウキャロルの母となるミヨトウコウ(四勝)だった。オークスに勝ったあとダービーで三着になったチトセホープの娘という良血馬である。
喜八郎は社名をとった「トウコウ」という冠名で馬を走らせてきたが、一九七〇年代から八〇年にかけてのファンにはオークス馬トウコウエルザや、ノボルトウコウとプレストウコウの兄弟で知られている。ノボルトウコウはロングエース、ランドプリンス、タイテエムの三強ダービーで二五着(二七番人気)だったが、スプリンターズステークスなど五つの重賞に勝ち、ファンの多い馬だった。弟のプレストウコウは菊花賞をレコードタイムで勝った、芦毛としてはじめてのクラシックホースである。種牡馬になってからは、毎日王冠でオグリキャップの四着になったウインドミルや、笠松競馬場でオグリキャップを二度負かしたマーチトウショウ(トウショウボーイの藤正牧場とは無関係)など、地方の活躍馬をおくりだしている。
オフサイドトラップは息子の渡邊隆の名義だが、母の父ホスピタリテイも喜八郎の所有馬だった。大井競馬場で八連勝のあと中央に移籍、セントライト記念で皐月賞馬アズマハンターを一蹴している。クラシック登録がなく、第二回ジャパンカップをめざして出走した国際指定オープン(富士ステークスの前身)ではカナダの芦毛フロストキング(第一回ジャパンカップ二着)の二着だった。このときに脚を痛め、一年後に復帰してオープン特別に勝ったが、ふたたび故障して引退している。中央ではビッグタイトルはないが、とてつもない才能を感じさせた馬だった。実際、種牡馬になってからも皐月賞馬ドクタースパート(道営競馬出身)など何頭もの重賞勝ち馬をおくりだしていた。