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自己PRは“早稲田のナイチンゲール” フジ新人アナ松﨑涼佳23歳が競走部学生トレーナーから入社3カ月でスポーツ番組担当の夢をつかむまで 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byNaoya Sanuki

posted2022/10/15 17:05

自己PRは“早稲田のナイチンゲール” フジ新人アナ松﨑涼佳23歳が競走部学生トレーナーから入社3カ月でスポーツ番組担当の夢をつかむまで<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

フジテレビのスポーツニュース番組『S-PARK』のフィールドキャスターを務める松﨑涼佳アナウンサー。陸上競技に没頭した学生時代からアナウンサーを目指すまでを率直に語った

スポーツ選手は、幼い頃から身近に感じていた

「種目が違ったので一緒に練習をしていたわけではなかったそうですが、私が2才くらいの時にセレモニーか何かで有森さんに花束を渡したこともあるみたいです。2013年に日体大が箱根駅伝で優勝した時の別府健至監督も同級生だったりして、私にとってもスポーツを楽しんでいる方や元スポーツ選手というのは、幼いころから身近な存在に感じていました」

 日体大を卒業後、仕事や育児のため競技を離れていた母親だったが、子育てが一段落する頃に練習を再開。趣味として大会にも出るようになった。母の姿を見ていた松﨑アナウンサーも自然と同じ道を志し、中学から陸上部に入部した。

「練習をみてもらったり、地元の大会であれば、母は神奈川県陸上協会の審判として、私は競技者として一緒に試合に行くこともありました。小さいころはずっと母の背中を追っていたような気がします。陸上をやっている頃は母の現役時代の記録を抜いてみたいという目標もありましたし、大きくなってからは女性の先輩として、仕事や育児をしながら競技も楽しんでいる姿に憧れを持っていました」

 強豪校というわけではなかったが、中学、高校と陸上部で短距離走に没頭。一番心に残っているのは、神奈川県立厚木高校3年時の県選手権だという。

「200mで県7番になりました。6番までが関東大会に行けるということであと一歩でしたが、そもそも決勝まで残れたのは初めてだったんです。自分以上に、母やマネージャーの同級生が喜んで泣いてくれた姿を見て、何だかグッときました」

早稲田大学では競争部の学生トレーナーに

 競技としては高校で一区切りをつけ、大学は学問としてスポーツを掘り下げるために早稲田大学スポーツ科学部に入学。競技者ではなく学生トレーナーとして競走部(陸上部)に入った。

「母は日体大に進んで競技を続けてみたら、ということも勧めてくれたんです。でも私としては大学で4年間競技を続けても日本のトップレベルになれる実力はないと思っていたので、別の道でスポーツに関わることを選びました。生理学系のゼミを選んでいたので、学んだことを学生トレーナーとしてアウトプットする、という毎日。役割としては選手の安全管理や熱中症対策、怪我をしたときの一時処置や、怪我をした選手のサポートなどをしていました」

 競走部の同級生には、400mハードルの日本代表として東京五輪に出場した山内ひろむなどトップランナーのアスリートもいた。世界を目指すアスリートを間近でサポートできたことは大きな経験になった。

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