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坂口智隆38歳引退「近鉄戦士」がNPBでゼロに… 独立L兼任コーチ近藤一樹39歳らと「球界再編」を乗り越えた苦労人に拍手を
posted2022/10/05 06:22
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
JIJI PRESS
筆者は近鉄沿線に生まれ育ったが、近鉄バファローズのファンにはならず、野村克也を追いかけて南海ホークスファンになった。大阪球場で、近鉄の選手がエラーをすると「近鉄電車ではよ帰れ!」とやじったものだ。そのあと、近鉄ファンと一緒に近鉄電車で家に帰ったのだが。
その近鉄バファローズの最後の1人、ヤクルトの坂口智隆(38)が引退した。球界に激震が走った「球界再編」から18年、もうそんなに時間が経ったのだ。
中学の1年先輩は栗山巧だった
坂口は兵庫県神戸市生まれ、中学時代は市内の少年硬式野球の神戸ドラゴンズでプレー、チームの1年先輩に西武の栗山巧がいた。
ほぼ同時期に兵庫県立小野高校硬式野球部にただ1人女子部員として入部したのが、のちの女子日本代表監督の橘田恵さん。ちなみに小野高校の当時のキャプテンは、元フジテレビアナウンサーの田中大貴さんだ。小野高校は女子選手を男子と一緒に練習させることもできず、思案の挙句に知人を介して神戸ドラゴンズの練習に橘田さんを参加させることにした。橘田さんは中学時代の栗山、坂口と一緒に練習したが、当時から能力はずば抜けていて「こういう子がプロに行くのだろうな」と思ったと言う。
坂口は神戸国際大附ではエース、中軸打者として活躍し、甲子園に出場。2003年、東北高・高井雄平の外れ1位で近鉄に入団した。高井雄平とは、はるか後にチームメイトになる。以後2年間、一軍では8試合に出たのみ。しかし二軍ではリードオフマンとして最多安打も記録している。
球界再編騒動で「近鉄」が消えると…
この2年目の2004年に「球界再編騒動」が起こる。自分たちが所属する大阪近鉄バファローズがなくなり、オリックス・ブルーウェーブと合併する。これは大ショックだったはずだ。
当時、すでに主力だった選手の中には自分で身の振り方を考えた選手もいた。
エースの岩隈久志は、分配ドラフトのプロテクトリスト入りによるオリックス移籍を拒否して新球団楽天に移籍した。中軸打者の中村紀洋は翌年2月にポスティング・システムでドジャースに移籍した。
しかしレギュラーでもない若い選手に、選択肢などあるわけがない。