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大谷翔平と“偉大なお隣りさん”プホルスが過ごした愛すべき日々…大記録達成の“師匠”が大谷に送り続けた言葉「君にはそれができる」
posted2022/09/27 17:22
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
Getty Images
1918年にベーブ・ルースがマークした「13勝+11本塁打」の上を行く「14勝+34本塁打」を記録し、日米を通じ自身初のシーズン200三振を奪った夜、大谷翔平はいつもより嬉しそうだった。
「本人がどういうふうに思っているか分からないですけど、全然違うというか。700いくかいかないかはもちろん、そこまで打っているのがすごいですけど、大きなことだと思うので。本当に今年終わるのかなっていうくらいの打撃をしていると思う。少しの間ですけどプレーできたのは光栄だと思います」
通算700本塁打はバリー・ボンズ(762本)、ハンク・アーロン(755本)、ベーブ・ルース(714本)に続くメジャー史上4人目の快挙。偉業達成は囲み取材の始まるわずか30分ほど前だったが、その情報は既に大谷にインプットされていた。そんなところにもふたりの距離感が表れた。
大谷にDHの座を譲ったレジェンド・プホルス
フルネームはホセ・アルバート・プホルス・アルカンタラ。エンゼルスに大谷が入団するまではDHのポジションは彼のものだった。大谷入団の18年シーズンを前に2968安打、614本塁打。MVPに選ばれること3度、球宴出場は10回を数えた。将来の殿堂入りは間違いないとの評価はこの時点であった。
レジェンドは大谷が二刀流でプレーするために、DHの座を快く譲った。38歳シーズンにして一塁手専任への再転向。3000安打と700本塁打の金字塔への影響が取り沙汰される中、プホルスは言った。
「私は自分の数字のためにプレーしてきたことは一度もない。チームの勝利のために最善を尽くすのが私の仕事だ。毎日一塁手としてプレーできるように頑張るよ」
大谷が初めてプホルスに出会った日
大谷が初めてプホルスと出会ったのはキャンプイン前の自主トレだった。当時、アナハイム近郊のカリフォルニア州立大学のグラウンドを転々とし練習を重ねていた大谷はアーバイン校での自主トレで初めてレジェンドに会った。当時を大谷が振り返る。
「一緒に練習をやらせてもらったときには緊張したんですけれど、そういう選手と一緒のチームでやれるのは光栄なことと思います。まだ調整段階だったんですけど、それでもバンバン本塁打も入れていた。すごい打撃をしてたんじゃないかなと思います。勉強になることもたくさんありました」
プホルスと大谷。ふたりが繋がった瞬間だった。