大相撲PRESSBACK NUMBER
「あんちゃん座れ」ケンカで無双“大分の龍二”が圧倒された千代の富士の迫力とは? 元大関・千代大海の九重親方が振り返る師匠との出会い
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byBUNGEISHUNJU/Ichisei Hiramatsu
posted2022/09/10 11:00
元大関・千代大海の九重親方にロングインタビューを実施。前編では、“大分の龍二”時代や師匠(元横綱・千代の富士)との出会いについて話を聞いた
11歳で高校生を一蹴した“大分の龍二”の伝説
――小さい頃から「自分を持っているタイプ」だったようにお見受けしますが、不良の道へ進んでいったのはいつ頃、何がきっかけでしたか。
小学5年生の終わりくらいから悪かったんです。当時は不良というよりもガキ大将。みんなを束ねるのが好きでした。その頃、家の近所が悪い高校生たちのたまり場で、前から「こいつら邪魔だな」とは思っていたんだけど、ある日高校生が家の前でたばこを投げ捨てるのを見て、突っかかっていったんです。柔道をやっていて怖いものなしだったんでね。11歳で、体重は100キロ前後。筋肉質で、学校の体育の先生と相撲取っても負けないから、子どもながらに自信があったんです。結果、高校生を2、3人ぶん投げて、そこから本格的に“デビュー”しました(笑)。
――小学生で高校生に勝つなんて恐ろしい(笑)。“大分の龍二”として名を轟かせた中学以降は、腕っぷしもさらに強くなっていたんでしょうか。
周りからすれば迷惑な話ですけどね(笑)。中学生になると、学校じゃなくて町の不良をやっていたので、よその県の不良がどれだけ強いか見たくて、九州は全部回ったし、愛媛とかにも“遠征”に行っていました。僕にとっては、魂が一番熱かった時期。大人と喋るのが好きで、いろんなことを教えてもらったので、その年齢の子どもにしては言葉も多く知っていたし、行動力も身につけていたと思います。
――その一方で、中学の卒業式では号泣されたそうですね。そのときの心境を覚えていますか。
なんで泣いたのかはわからないけど、「もっと学校に行けばよかった」という後悔はありました。それまで人の優しさに触れたことのなかった自分が、卒業式で周囲の本当の優しさや、みんながひとつになる空気感というか、そういうものに触れて感極まったのかな……。隣に座っている子も誰だかわからなかったんだけどね(苦笑)。
卒業後は、中学2年生から始めた空手の師範の会社に雇ってもらい、とび職をしていました。「学校に行かないならうちの管理下に置くぞ」と言ってくれた、いい社長さんです。中学生から一人暮らしをして、毎日仕事をしながら空手をやって、夜は遊ぶ。そんな生活を、3年ほど続けていました。