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現代の格闘界を予見?『ロッキー』シリーズはなぜ不滅なのか…好きすぎて“ロッキー化した”選手も「自分の試合を映画に寄せました」
posted2022/08/19 11:01
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
2021 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
フロイド・メイウェザーJr.と那須川天心、9月に行われるメイウェザーvs.朝倉未来、亀田興毅興行に登場した皇治もそうだ。格闘技業界では“ボクシングルールのエキシビション・ビッグマッチ”が流行中と言っていい。
規約の問題などにより公式戦では実現できないカードを、エキシビションで可能にする。メイウェザーのように引退していても関係ない。KO決着になる場合もある。こうしたエキシビションは選手たちにネームバリューがあるから組まれるわけで、公式戦よりも話題になる。
さて、この現代の潮流の原点のような闘いが、30年以上も前の映画にあった。1985年の『ロッキー4』におけるアポロ・クリードvs.イワン・ドラゴだ。監督、主演はシルベスター・スタローン。そしてこの『ロッキー4』のディレクターズカット、監督自身による再編集版が日本で公開される。タイトルは『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』。
80年代の観客を熱狂させた“夢のエキシビション”
かつてロッキーと名勝負を繰り広げたアポロ。ソ連(当時)から乗り込んできたドラゴとの対戦はなぜエキシビションだったのか。アポロがすでに引退しており、なおかつドラゴがアマチュアボクサーだからだ。ソ連、つまり共産圏にはプロが存在しないのだった。
映画が公開された85年(日本では86年)は冷戦時代。アメリカとソ連は世界の覇権を争っていた。時のアメリカ大統領はタカ派で知られるロナルド・レーガン。そんなご時世に“左”側を敵とする“アメリカ万歳”な好戦的娯楽映画もたくさん作られた。『ロッキー4』もその一本だ。
ドラゴと闘ってアポロは死ぬ。仇討ちとばかりロッキーが立ち上がる。世界王座を返上して敵地へ。雪原でのトレーニング、そしてモスクワでの死闘。大ブーイングの中で奮闘するロッキー。彼らの心を掴み、ついにはドラゴを倒す。とてつもなく分かりやすいハッピーエンド。星条旗を身にまとうロッキーの姿はポスターにもなった。アメリカ万歳。
しかし映画を見ると、ストーリーよりも魅力的なものがあった。ロッキーとアポロの敵ドラゴだ。ソ連のボクシング・サイボーグを演じたのはドルフ・ラングレン。極真世界大会にスウェーデン代表として出場した空手家が役者に転向。身長196cmはロッキー=スタローンと対峙するととてつもない差があった。“冷酷な悪役”は観客にとって魅力的でもある。ビルドアップされた肉体も見事。映画の内容とは関係なく、80年代の小中学生男子は「ドラゴかっこいい!」となったのだった。筆者もその1人だ。