猛牛のささやきBACK NUMBER
12年前のドラ1・後藤駿太(29)はオリックスでなぜ愛された? 中日へ電撃トレード「寂しいけど、絶対にプラス」な理由
posted2022/07/28 06:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
KYODO
「決まったぞー」
7月8日の舞洲。ウエスタン・リーグ広島戦に出場予定だったオリックスの後藤駿太は、福良淳一ゼネラルマネージャーに呼ばれ、中日・石岡諒太との交換トレードを伝えられた。球団から公式発表されるわずか数時間前のことだ。
後藤の中に最初に湧き出てきたのは、「よっしゃ!」という高揚感だった。
その日のうちに名古屋に移動し、翌日、中日で入団会見を行うなど、慌ただしく過ぎた数日間の感情を、後藤はこう振り返る。
「トレードを伝えられた瞬間はワクワク感がすごくありました。いろいろと去年から考えていたこともありましたし、自分の中で、なんとか今の状況を打破しないといけないなと思いながら二軍生活を送っていたので。『ドラゴンズに』と聞いた時は、『よっしゃ頑張るぞ』という気持ちで話を聞くことができました。
ただ2、3日経って少し冷静になって、ファンの皆さんからのメッセージを見たり、選手や知り合いの方から連絡をもらったりすると、ちょっとホームシックみたいな、寂しい気持ちになりました。家族ともとりあえず一回離れるんだとか、今まで一緒にいた選手たちとはもう野球ができないんだ、という思いが出てきて。頑張ろうという気持ちはもちろんあるけど、やっぱりちょっと寂しい。17歳で入って、12年間もいたので、オリックスは第二の故郷みたいなものですからね」
オリックスへの愛着と、出番への渇望。後藤はそのはざまで揺れ、もがいてきた。
「上州のイチロー」張本以来の開幕スタメン
前橋商業高校時代は走攻守揃った外野手として注目され、「上州のイチロー」という異名もついた。ドラフトでは、オリックスがことごとく競合に敗れた末に、外れ外れ外れ1位で指名された。当時の岡田彰布監督はその素材に惚れ込み、開幕戦では9番・ライトで先発起用。高卒新人外野手の開幕戦先発は、張本勲氏以来52年ぶりだった。
異例続きで目が離せないルーキーは、当時の“駿太”という親しみやすい登録名も相まって、ファンの心をつかんだ。
3年目以降は5年連続で100試合以上に出場。ソフトバンクと優勝争いを繰り広げた2014年は127試合に出場し、打率.280を記録した。日本ハムとのクライマックスシリーズ第3戦で放った先頭打者本塁打は鮮烈で、まもなく駿太の時代が来る、と予感させた。
だがレギュラーをつかみきれず、2018年以降は二軍生活が長くなっていった。守備力や鬼のような強肩は誰もが認めるところだが、打撃で結果が出ず、試行錯誤を続けた。
昨年のCSと日本シリーズではベンチ外
チームが25年ぶりの優勝を果たした昨年、一軍出場はわずか56試合で、ほとんどが守備固めや代走での出場。打席に飢えていた。
10月25日のレギュラーラウンド最終戦。勝てば優勝を引き寄せられる楽天戦の9回表、代走で出場し、盗塁で二塁に進んだ後藤は、安達了一のスクイズで、三塁ランナーの佐野皓大に続き、二塁からホームへ激走。鮮やかなツーランスクイズで4-0とし、勝利を確かなものにした。9回裏には好守備でも改めて存在感を示した。
「本当はホームランとかヒットを打って貢献したいですよ。でもあの試合は本当によかったです。最後にああやって終われてよかった」とほんの少しだけ安堵していた。
ただ、その後のクライマックスシリーズや日本シリーズで、後藤は一度もベンチ入りすることなく終わった。