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落合博満「私が世に出た試合」、東尾修「キヨ(清原和博)、苦手な投手がいたら…」初オールスター秘話〈清宮幸太郎は劇弾+きつねダンス〉

posted2022/07/27 17:01

 
落合博満「私が世に出た試合」、東尾修「キヨ(清原和博)、苦手な投手がいたら…」初オールスター秘話〈清宮幸太郎は劇弾+きつねダンス〉<Number Web> photograph by Masato Daito

オールスターゲームでの清原和博(西武)と落合博満(中日)

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NumberWeb編集部

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Masato Daito

 雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回はオールスターゲームにまつわる4つの言葉です。

<名言1>
まさに私が世に出た試合。
(落合博満/Number626号 2005年4月21日発売)

 ◇解説◇

 打撃の天才・落合がその才能を開花させたシーズンは、ロッテ入団3年目の1981年だった。一軍定着を目指してほぼ守ったことのないセカンドでレギュラーをつかむと、打率3割1分台をキープし、チームの前期優勝に貢献した。その活躍が名将・西本幸雄に認められて監督推薦でオールスターに出場が決まったのだ。

 当時はセ・パの人気差がまだまだ大きかった時代で、落合にとっては“全国初お披露目”に近い大舞台である。それでも第1戦でいきなり同点二塁打を放ち、優秀選手賞に選出されるなど、さすがの打棒を見せた。

 そんな落合が驚いたのは翌日の第2戦前のことである。

「オチ、今日の4番はどうだ」

 本来4番を打つはずだった門田博光の足のコンディションを踏まえて、違う打者に……と西本監督とパ・リーグ広報部長の伊東一雄(パンチョ伊東)が談義していたところ、たまたま通りかかった落合を見つけて、伊東がこう言ったのだ。

 落合「勘弁してくださいよ」と返したというが、西本はすでにスタメン表の4番打者に「落合」の名前を記した。

 そのインパクトが大きかったのか——落合は「プロで初めての4番を、あれほど大きな舞台で打たせてもらった」と語っていたことがある。しかし実際にはオールスター前の7月22日、プロ初の4番打者を任されていた。ただ落合はこう回想する。

「それはオールスター休み前に、山内一弘さん(ロッテ監督)が私の力を試してみようとしただけでしょう。本人も忘れるくらいだから、ただの4番目の打者だったんだよ」

 第2戦での落合はノーヒットに終わったが、このオールスターで3安打をマーク。さらにこの年、打率.326で自身初となる首位打者を獲得。落合は翌年には三冠王、そして球界最高峰のバットマンへと駆け上がっていった。

プロ野球選手になったんだという実感が

<名言2>
プロ野球って、すごい人気があるんだということが改めてわかった。

(斎藤佑樹/Number784号 2011年8月3日発売)

 ◇解説◇

 2011年のオールスターゲームは、東日本大震災から4カ月後に行われた。

 このシーズンは開幕が半月以上遅れるなど、球界も未曽有の事態に襲われたが、被災地を盛り上げるべく、第3戦は急きょ東京ドームからKスタ宮城に移して行われた。

【次ページ】 清宮が16歳時に語っていた「まだまだ注目されたい」

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