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「金メダル以外いらない」俳優・藤本隆宏がストイックすぎる五輪代表&日本記録スイマーになるまで「自分を認めてもらえる場所が水泳だった」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/07/26 17:00

「金メダル以外いらない」俳優・藤本隆宏がストイックすぎる五輪代表&日本記録スイマーになるまで「自分を認めてもらえる場所が水泳だった」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

NHKドラマ『坂の上の雲』広瀬武夫役などで知られる俳優の藤本隆宏。俳優となる前は水泳のオリンピアンでもあった藤本に話を聞くと…

「次の日が試合だったのでテレビで観ていたと思います。レースを観て、すぐ会場に駆けつけました。言葉に表せない衝撃というか。練習では大地さんとも一緒に泳いでいましたが、“普通の人”という印象でした。なのに勝ったことの衝撃は大きかったですね」

 何よりも衝撃が大きかったのは、当時の日本競泳の地位がかかわっている。次の話は象徴的だ。

「外国人選手と選手村のエレベーターに乗り合わせたりすれ違うと、『日本人がなんで水泳やっているんだ? お前ら、絶対俺たちに勝てないだろ』と言われたりしたので、大地さんの金メダルはうれしかったですね」

金メダルだけが目標だったバルセロナ五輪

 刺激を受けた藤本は、金メダルを本気で目指した。1989年に400m個人メドレーの日本記録を更新し、1990年のアジア大会で200m、400m個人メドレーの2種目で優勝を果たす。

「このままいけば世界と戦えると手ごたえがありました」

 そうして迎えたのが1992年バルセロナ五輪だった。

 最初の種目、400m個人メドレーは決勝に進み8位。2つ目の200m個人メドレーは、15位にとどまった。

 当時の日本競泳界と世界トップとの差や日本勢にとって個人メドレーが高い壁であったことを思えば、8位入賞は十分評価に値する成績である。400m個人メドレーでの決勝進出は日本初であったこともそれを裏付けている。

 ただ、藤本にとってその成績は意味がなかった。あくまでも金メダルだけが目標だった。本来の泳ぎができなかった要因に触れつつ語った次の言葉にもそれが表れている。

「スタートから飛び込んで、最初のバタフライのとき体が重かったので駄目だ、と。午前の予選で力を使って、決勝までの間に高揚していて睡眠もとれなかったのが大きかったです。それに、銀と銅ならいらないと思っていたので、途中であきらめではないですけれど、そういうのもあって。自分がやってきた証というか、そのために欲しかったのが金メダルでした」

<#2へ続く>

#2に続く
劇団四季・浅利慶太から「水泳をやめたら駄目だ」藤本隆宏の無名下積み時代を支えたオリンピック思考「4年というスパンで考えられた」

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