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柔道も野獣もやめた金メダリスト、
松本薫が本気でアイスを作る理由。
posted2019/02/26 11:30
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Keigo Amemiya
その人はいつものように白い服を着て笑っていた。
白とは言っても、もう汗の染みた柔道着ではなく、真新しいかっぽう着ではあったけれど。
「まだ慣れないですよお」
東京・高田馬場にある東京富士大のキャンパス内にあるアイスクリーム店「Darcy's(ダシーズ)」。2月上旬に引退を発表したばかりの柔道の五輪金メダリスト、松本薫がその店先に立っていた。
オープンから1週間以上経っても、お店は連日完売の勢いで盛況が続いている。
松本は毎日とはいかなくてもできる限り店に出て、空いた時間があればお客さんとも触れ合っているようだ。“野獣”と呼ばれた現役時代の険しい形相はすっかり消え失せ、穏やかな表情で記念撮影の求めに応じていた。
天然だが彼女なりの理はあった。
引退会見で唐突に明かされたセカンドキャリアは、柔道からアイスクリームという意外すぎる転身だった。会見で今後の目標を聞かれた松本は「第二の人生なんですけど、アイスクリーム作ります」と言い、会場があっけにとられるのを見て「あの……アイスクリーム作ります」と照れくさそうに繰り返した。
畳に上がれば“野獣”と呼ばれ、普段のトークは天然というか、いつも不思議なキャラクターを全開にしてきた。今回も型にとらわれない突飛な発想に思えるが、現役時代から松本の発言にはいつも彼女なりの理がきちんとあった。
試合前に空を見て集中力を高める理由を聞かれたときは「試合に臨む心構えは人間は教えてくれない。空はいろいろ教えてくれる」と人ならぬ声が聞こえるからだと答え、新たに習得した内股に「くるりんぱ」とおちょくったような命名をする一方で「自分は足技の選手だけどそれだけでは通用しなくなる。ここぞで投げきる技も必要になる」と至極真っ当な狙いを語っていたものだ。
だからこそ後輩たちからの信望も厚かった。
そういえば宿舎のベッドランプで焦げてしまった下着をはいて遠征から帰国してきた時でさえ、「パンツが茶色で焦げが目立たなかったので今、はいてます」とあっけらかんと言っていた。(「このあと捨てます」とも忘れず付け加えていた)。