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安藤美姫が明かす“記憶を失くした18歳の1年間”「特にトリノの頃はスケートのことをあまり覚えてないんです」
posted2021/04/14 11:00
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph by
Nanae Suzuki
くっきりと張りのある声。意志を感じさせる美しい顔立ちに、しなやかな身のこなし。マネージャーに付き添われて取材場所に現れたのは、プロフィギュアスケーター・安藤美姫だ。
取材者の話にしっかりと耳を傾け、自分の言葉で、誠実に、しかもたくさん話してくれる。ただ瞳の奥に、和らぐことはあっても消えない硬さがある。「初めてお会いする方にはどうしても壁を作ってしまうところがあって」。彼女がそう教えてくれるまで、少し時間がかかった。でも、自らそれを口にできるようになったこと、それ自体が安藤美姫の濃密な、33年間の人生を物語っていると、のちにわかった。
名古屋で育ち、9歳からフィギュアスケートを始めた安藤が、女子史上初の4回転ジャンプに成功したのは14歳のとき。その後、16歳でシニアデビューを果たした天才少女は、トリノ五輪代表選考を前に激烈なメディア攻勢に晒されたという。あれから18年――。当時のことについて、話を聞いた(全3回の1回目/#2、#3に続く)。
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「スケートより、メディアとの距離感と闘っていました」
17歳の時には女子高生の制服姿にスケート靴という象徴的な姿で雑誌『Number』の表紙も飾ったこともある彼女だが、「結構、みなさん衝撃だったみたいで。覚えている方も多い表紙だと思います」と、15年以上前を振り返る。
2000年代の女子高生ブームの中、少々特殊な視線とともに巻き起こった「安藤美姫フィーバー」以降、世間では彼女に対して好不調の波が激しく“スキャンダラスな美人トップスケーター”というイメージが根強く存在してきたことは否定できない。だが、名古屋のひとりの女子高生スケーターの日常をスキャンダルにしてきたのは誰かと言えば、それを報じるメディアでもある。
ノイズだらけであったろうフィギュアスケート人生の中で何と闘ってきたかと問うと、「フィギュアに対して、きつかったとか辛かったとか闘っているとかは、あまり思ったことがなくて。むしろスケートというより、メディアの皆さんとの距離感と闘っていました。今はメディアの方とも理解し合えるようになりましたし、お仕事もいただきながら良い関係性を築けています」と話す。
「私が14歳で4回転を成功した当時は、フィギュアスケートはマイナーなスポーツでした。今でこそいろんなスポーツ誌に取り上げられたりしていますが、大きな大会でなくても記者の方がいらして取材をしてもらう環境はなかったですね」
だが18歳の時、トリノオリンピックを前にして、安藤を取り巻く状況は一変した。
四六時中カメラを向けられる日々で
「若手選手で、過去に4回転を飛んだということも大きかったのか、その頃から急に注目をされるようになって。ただ自分の中ではすごくいろいろ疑問がありました。自分のやっていることはこれまでと変わらないのになんでだろうと。スポーツニュースやスポーツ誌などの普通の取材ならまだしも、『高校生で旬』という見方から、ゴシップ誌や男性向け成人誌に毎日追いかけられるようになって……」