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《F1》身の毛もよだつクラッシュから周冠宇を生還させた「HALO」とは? セナの死からの安全性の進化と事故の歴史
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2022/07/21 17:00
逆さまになったまま滑走するマシンのコクピットで、周冠宇はヘイローにしっかりと守られた
さらにその1週間前には、イギリスのブランズハッチ・サーキットで行われたF2のレースで、F1の元世界チャンピオンであるジョン・サーティースの息子ヘンリー・サーティースが、前方でクラッシュしたマシンから外れたタイヤにぶつかって、死亡するという痛ましい事故が起きていた。そこでFIAは、コックピット内のドライバーを外部から飛び込んでくるパーツから保護するため、安全装置の導入について議論を開始した。
だが、議論はなかなか進まなかった。最大の理由は、「見た目」がフォーミュラカーにそぐわないというものだった。その説を唱えたひとりが、ルイス・ハミルトン(メルセデス)だった。
「アイルトンの時代のレースを見て育ってきた者としては、F1はずっとオープンコックピットだった。だから、考えを変えるのは難しい」
ヘイロー導入の契機となった悲劇
そんな矢先、またも悲劇が起きる。14年の日本GPでジュール・ビアンキ(マルシャ)がレース中にコースアウト。1周前にクラッシュしたエイドリアン・スーティル(ザウバー)のマシンを撤去するため出動していたクレーン車に激突、マシンがクレーン車の下に入り込んでしまった。ヘルメットがクレーン車の後部底面に衝突という不運も重なり、約58Gという衝撃によって脳に重度の損傷を負ったビアンキは意識不明のまま病院へ搬送され、翌年意識が戻らないまま帰らぬ人となった。
ビアンキが亡くなった15年には、アメリカのインディカーで元F1ドライバーのジャスティン・ウィルソンが、他車から落下したデブリ(破片)がヘルメットを直撃するというアクシデントに見舞われ、命を落とすという事故も発生した。
この2つの痛ましい事故によって、F1のヘイロー導入に向けた話し合いが一気に加速した。カート時代にウィルソンとレースした経験を持つジェンソン・バトンは、かつてのライバルの死後、コックピット保護強化の必要性に関する自身の考えを変えたと明かした。
「僕はずっとフォーミュラカーはオープンコックピットのままにすべきだと主張してきたけど、もう十分だ。いまは70年代ではない。仲間がレースで死ぬのを、これ以上見たくはない」