ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
“新日vsUインター”対抗戦で大谷晋二郎と対戦した山本喧一が語る“プロレス事故”への思い「どんな名選手でも体力の衰えはある。だから…」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2022/07/14 17:00
1995年10月9日の全面対抗戦第2試合で対戦した山本喧一と大谷晋二郎
山本「まさかあんな事故が起こってしまうなんて」
その後、山本はリングス、UFC、PRIDEと総合格闘技の道へ進み、大谷との接点は長い間なかったが、今から4年前に再会をはたしている。2018年6月2日のZERO1「チャリティープロレス」北海道・サン・ビレッジいしかり大会で、対談形式のトークショーを行ったのだ。
「4年前、ZERO1の石狩大会にゲスト出演してトークショーをやらせてもらいましたけど、大谷選手と会ったのは対抗戦以来あの時が初めて。だから四半世紀ぶりみたいなもんですよ。あれからお互いだいぶ苦労して今があるので、積もる話もあり、僕ら同士にしかわからない感覚もあって、すごくいい時間でしたね。それは向こうも同じだったと思うんですよ。大谷選手が『10.9ドームでの対抗戦の相手が山本選手で良かった』と言ってくれていて、僕もまったく同じ気持ちを持っていたので、感無量なところがありましたね。
僕は新しい格闘技界を作るために1999年にリングスを退団して、“Uのはぐれ狼”になりましたけど、大谷選手もあのまま新日本プロレスにいて王道を歩んでいれば、そこまで苦労しなかったと思うんですよ。でも、あえて橋本(真也)さんと一緒に新日を辞めて、自分で団体をやることでいっぱい苦労したはずなんです。そして小さな町を回る巡業をコツコツとやってきて、“いじめ撲滅”だとかそういうことを旗印に頑張ってる姿を見てね、長く会ってませんでしたけど、なんか同志の共感をまた得られて。今度ゆっくり酒でも飲んだら楽しい話がいっぱいできるんだろうなと思って、『体に気をつけて頑張ってください』って、そのトークショーをやった日を終えたんだけど。まさかあんな事故が起こってしまうなんて、一報を聞いたときすごくショックでしたね」
高山善廣の事故から、山本がずっと思っていたこと
プロレスにケガはつきものであるとはいえ、周期的に大きな事故も起きており、業界としてその対策が十分とはいえない状況が続いていることもたしかだ。
「僕の直接の先輩である高山さんも5年前、試合中の事故で頸髄完全損傷という重傷を負ってしまったじゃないですか。その時からずっと思ってたことがあるんですけど、この業界って大きなケガを負った際の補償って、ほとんどないじゃないですか。大きな団体はともかく、小さな団体はないに等しい。
民間のスポーツ保険にしても、掛け金に対するリターンを考えると、なかなか難しいんです。だから中小の団体だけでも、みんなで協力して、何か大きなケガがあったときに、必要な医療費や生活費を工面できるような保険機構的なものができないのかなってずっと思ってるんですけどね。僕自身、そこに対して積極的に動けているわけではないから、偉そうなことは言えないですけど。団体のトップが集まって、その辺のことについては真剣に話してほしいですよね」
またベテラン選手の試合出場についても山本はこう語る。