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“新日vsUインター”対抗戦で大谷晋二郎と対戦した山本喧一が語る“プロレス事故”への思い「どんな名選手でも体力の衰えはある。だから…」
posted2022/07/14 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
先日、北海道札幌市で元UWFインターナショナル所属のプロレスラーで、1999年にはUFCジャパントーナメントに優勝した総合格闘家でもある“ヤマケン”こと山本喧一のインタビューを行った。
山本は現在、札幌市で総合格闘技ジム『パワーオブドリーム』を運営しており、弟子でもある実息の山本空良は、総合格闘技のメジャー舞台RIZINで活躍中。7月2日に沖縄アリーナで行われた『RIZIN.36』では、強豪カイル・アグォンに見事判定勝ち。今、注目度が急上昇している。
山本のインタビューは、空良の話を中心に聞いていったが、その他に試合中の事故で頸髄を損傷し、現在懸命の治療とリハビリを続けている大谷晋二郎についても話をしてもらった。
「新日vsUインター」で対戦した若き日の山本と大谷
“プロレス史上最大の団体対抗戦”として今や伝説となっている1995年10月9日東京ドームでの「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面対抗戦」。この日本中のプロレスファンが注目した大会の第2試合で大谷晋二郎と対戦したのが、若き日の山本喧一だったからだ。
当時、山本はデビューしてまだ1年足らず、19歳の新人。ファンの注目を集めるビッグマッチはこれが初めてだった。
「10.9東京ドームでの新日本との対抗戦で大谷選手と対戦したのはデビュー1年目。しかも当時Uインターは月に一回しか試合がなかったので、あれがたしかデビュー11戦目だったんですよ。超満員の東京ドームで、新日ファンからものすごいブーイングを浴びてね。でも、あれでクソ度胸がついたし、デビュー1年目であれを経験できたっていうのはデカいですね。自分の宝ですよ」
10.9ドームでの大谷戦で山本は敗れたものの“鉄砲玉”を思わせる果敢な闘いとそのやられっぷりが、当時の新日本プロレス現場監督の長州力に高く評価され、その後はUインターの先輩である安生洋二、高山善廣と伝説のユニット、ゴールデン・カップスを結成。若くしてプロレス界のメインストリームに躍り出るきっかけとなった。