甲子園の風BACK NUMBER
「お父さん、ぼく横浜高校に行きたい」野球U-12日本代表が“熊本から越境入学” その時、両親は…「親元に置いておきたい気持ちはありましたが」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byNanae Suzuki
posted2022/07/13 11:02
主将としてU-12でアジア制覇、U-15で世界一に輝いた星子天真主将(大阪桐蔭)は熊本で野球の礎を築いた
U-12の日本代表捕手「お父さん、ぼく横浜高校に行きたい」
県外に息子を送り出す、親の気持ちはどうなのだろうか。神奈川の強豪・横浜への入学を決意した熊本の保護者に話を聞いた。
横浜はこの春、25人登録の公式戦メンバーに4名の1年生選手を入れた。入学して間もない1年生だが、全員が中学時代に活躍してきた選手たち。実力主義の横浜で1年春のベンチ入りを勝ち取るのは並大抵のことではない。村田浩明監督は「現時点の、実力ある者でメンバーを選んだ」と言い切った。その4名の中に大津監督の教え子、熊本中央ボーイズ出身の栗山大成という選手がいた。
小学時代の通算本塁打は44本。U-12の正捕手を務め、中学時代も主将で全国大会に出場。父・憲士さんは1995年に日南学園が初めて甲子園出場を決めたときの控え投手だ。
憲士さんは「お父さん、ぼく横浜高校に行きたい」と言われたとき、驚いて耳を疑ったという。「本気か? 熊本と違って学校数が200近くもあるぞ? 甲子園に行くには7、8回勝たないといけないし、上手い子しか集まらない、超一流の学校だぞ?」と念を押した。しかし息子の目は本気だった。「甲子園で全国制覇をしたいんだ」と訴えた。
「U-12でアメリカに行き、世界のレベルを見た後から、高いレベルで揉まれて自分を高めたいという気持ちが芽生えたようです。横浜高校という超強豪校でやっていけるのかと心配しましたが、本人は『楽しみでいっぱい』とワクワクしていた。大成の挑戦を応援してあげたいと思いました」
越境入学した息子から届いた手紙
U-12では約700人の応募の中からトライアウトを経て日本代表15人に残った。「競争」することが成長の源になっていた。