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羽生善治15歳へ先輩棋士が「高校野球の優勝投手みたい」と辛口意見も… 1500勝時に「思い出」と語った“デビュー戦での源流と波紋” 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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posted2022/07/02 17:03

羽生善治15歳へ先輩棋士が「高校野球の優勝投手みたい」と辛口意見も… 1500勝時に「思い出」と語った“デビュー戦での源流と波紋”<Number Web> photograph by KYODO

1500勝を達成した羽生善治九段。36年前のデビュー戦は、どのような展開だったのだろうか

 翌年の1987年、島六段が主宰し、若手精鋭の佐藤康光四段(同18)と森内四段(同17)がメンバーの伝説の研究会「島研」に、羽生四段が加わった。島が羽生の強さを認めて入会を勧めたのだ。その後、4人の棋士は切磋琢磨して実力を伸ばし、後年にタイトルをともに獲得した。

 羽生が公式戦の対局で達成した通算1500勝。その大河の「源流の一滴」ともいえるデビュー戦は、以上のエピソードのように、いろいろな波紋を及ぼした。

1000勝、1434勝の時に残した言葉も含蓄に富んでいる

 公式戦の通算勝利では、600勝(将棋栄誉賞)と800勝(将棋栄誉敢闘賞)が節目となる。羽生にとって、それらは通過点にすぎなかった。

 2007年12月20日。羽生二冠はA級順位戦で久保利明八段に勝ち、通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成した。達成時の通算成績は1000勝373敗。年少記録1位(37歳2カ月)、速度記録1位(22年0カ月)、勝率記録1位(7割2分8厘)と、記録ずくめだった。

 羽生は終局後の記者会見で、「1000勝という実感はわかないです。四、五段時代に勝ち星の貯金をしたのが大きかったと思います。まだ30代なので、着実に前に進んでいきたいです」と語った。

 2019年6月4日。羽生九段は王位戦の白組プレーオフで永瀬拓矢叡王に勝ち、通算1434勝を達成した。

 大山康晴十五世名人(1992年に69歳で死去)の通算勝利を超えて、歴代1位となった。

 羽生は終局後の記者会見で、「大山先生は60代の晩年でも、棋譜で見た昔の強さと迫力というものがありました。私自身は、その領域にまだ行ってないと思います。息長く活躍できるように頑張りたいです」と語った。

羽生ら現代棋士と大山康晴との比較は無理がある?

 最後に、大山十五世名人の公式戦の通算勝利(歴代2位の1433勝)について取り上げる。

 大山の記録に残る初勝利(対局)は、戦前の1940(昭和15)年に行われた四段時代の昇降段戦で、藤内金吾六段との香落ち戦。

 関西の名棋士だった藤内八段の師匠は、伝説の棋士として映画や歌謡曲でおなじみの阪田三吉(贈名人・王将)。弟子に内藤國雄九段、孫弟子に谷川九段らがいる。

 大山の公式戦の記録については、大山の評伝を30年前に出版した井口昭夫さん(元毎日新聞記者)が、大山が保存しておいた昔の棋譜や手帳などを基にして調べ上げたもので、それが根拠となっている。ただ戦前戦後の混乱期の頃は、消失した棋譜もあったようだ。将棋大成会(日本将棋連盟の前身)の本部が空襲で焼失して対局をできなかったり、大山も21歳で出征を経験したりした。

 以上の事情によって、大山の通算勝利はもっと多かったと思われる。伸び盛りの時期に対局をできなかったブランクも大きかった。

 大山と、現棋界の羽生らの棋士を記録で比較することは、歴史的にも制度的にも――そもそも無理があると思う。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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