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羽生善治15歳へ先輩棋士が「高校野球の優勝投手みたい」と辛口意見も… 1500勝時に「思い出」と語った“デビュー戦での源流と波紋”
posted2022/07/02 17:03
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
KYODO
羽生九段は前期のA級順位戦で陥落し、連続29期(名人在位9期を含む)も在籍していたA級の地位を失った。永世名人(十九世名人)の資格を有する大棋士だけに、その去就が注目されていた。
同じような前例では、十八世名人の資格を有し、A級に連続22期(名人在位8期を含む)も在籍していた森内俊之九段は、2017年にA級順位戦で陥落した後、「フリークラス」に転出した。
これは、順位戦に参加しない形で現役棋士を続ける制度。以後は順位戦に復帰できず、名人復位の道は閉ざされる。森内は「永世名人の資格者として、A級から降級したら、何らかの決断をしなくてはいけないと思った」と、当時の心境を語ったものだ。
羽生はフリークラスに転出せず、順位戦でB級1組に在籍して再出発を図った。これも、ひとつの決断である。6月16日の1回戦では山崎隆之八段に勝ち、A級復帰に向けて幸先のよいスタートを切った。
そして、冒頭で記したように、公式戦の対局で通算1500勝(歴代1位)を達成した。
羽生は1982年12月に奨励会(棋士養成機関)に12歳で6級で入会。1985年12月に15歳2カ月で四段に昇段して棋士になった。その3年間は義務教育中で、公式戦の記録係をあまり経験してこなかった。
前述の記者会見で、「思い出の対局はデビュー戦」と語った理由として、公式戦の対局がどのように行われるのか勝手が分からなかったので、いちばん印象に残っていたという。また、別の記者会見では「個性的で迫力ある大先輩の人たちと対局していく中で、大変な世界に来てしまった、というところが出発点としてあったと思います」とも語った。
藤井聡太のデビュー戦に比べれば静かなものだった
1986(昭和61)年1月31日。羽生四段は王将戦で宮田利男六段(当時33)とのデビュー戦に臨んだ。将棋雑誌などに載った記事を基にして、当時の状況を振り返ってみる。
2016年12月に行われた藤井聡太四段(同14)のデビュー戦には、多くの報道陣が駆けつけて社会的にも注目された。
羽生のデビュー戦には、写真誌の『毎日グラフ』『フォーカス』などが取材に訪れたが、藤井の対局と比べると静かなものであった。
当日は将棋会館で公式戦が何局か行われていて、対局者らは羽生の戦いぶりをたまに見にきた。
羽生は先輩棋士のそうした視線を気にする様子はなかった。