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羽生善治15歳へ先輩棋士が「高校野球の優勝投手みたい」と辛口意見も… 1500勝時に「思い出」と語った“デビュー戦での源流と波紋”
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKYODO
posted2022/07/02 17:03
1500勝を達成した羽生善治九段。36年前のデビュー戦は、どのような展開だったのだろうか
時には乱れ気味の自分の髪をかきむしり、正座をくずして胡坐をかくこともあった。体裁に無頓着で、マイペースの対局態度だった。
公式戦の対局での勝手が分からなかったので、自然体に過ごしたともいえる。
羽生のデビュー戦で居合わせた先崎学が受けた衝撃
昼食休憩のとき対局室で、羽生とほかの対局で記録係を務めた先崎学初段(同15)が並んで立つ光景が、後日に将棋雑誌に載った。そのキャプションには《元天才? の先崎》と記された。
先崎は、同年の羽生より奨励会入会が1年先輩で嘱望されていた。しかし、10代前半でパチンコや麻雀などの遊びにのめり込むと、奨励会の成績は低迷。後輩の羽生にすぐに抜かれた。ただギャンブルの技は冴えていたので、遊び仲間には《天才》と呼ばれた。
先崎は将棋雑誌の写真と文言を見て、大きな衝撃を受けたという。
後年に出版した自伝エッセイ集『一葉の写真』では、《あの一葉の写真は、生まれてはじめて味わう屈辱だった。クエスチョンマークがなければ、僕は将棋をやめていただろう。そして僕のあたらしい人生の一歩だった》と、当時の心境を綴った。
先崎は、その写真と文言を契機に奮起。《不良少年の典型が、闘争心あふれる明るい少年に》変貌していったのだ。そして翌1987年の秋、四段に昇段して棋士になった。
宮田-羽生戦の戦型は、当時の定番だった「相矢倉」。羽生は後手番ながら先攻し、有利な戦いに進めた。宮田も攻勢に転じ、終盤は難解な形勢に思えた。羽生は攻防を兼ねた好手で乗り切り、最後は鮮やかな決め手の△4五銀を放って勝った。
終局後の感想戦で、天才棋士と謳われた谷川浩司九段(同23)が、羽生の後方からそっと見ていた。その光景は、人気写真誌『フォーカス』に掲載されて話題になった。
羽生がデビュー戦で勝利すると、メディアは「若き天才棋士 現われる」と報じた。
「完成されていて、荒けずりの魅力がない」
ただ先輩棋士の中には、「若けりゃ、いいってもんじゃない」「高校野球の優勝投手みたいに完成されていて、荒けずりの魅力がない」などと、辛口の見方もあった。
若手精鋭の島朗五段(同22)は、羽生将棋と△4五銀について、「大したことはないと、みんな言っていますよ。△4五銀はいい手ですけど、あのくらいは……」と評し、羽生に対抗心を見せた。
しかし、羽生がものすごい勢いで勝ちまくっていくと、そうした声はかき消された。