ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
アントニオ猪木はなぜモハメド・アリ戦で“リアルファイト”にこだわったのか? 繰り返したローキック、極限の緊張感「生きるか死ぬかだからね」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byGetty Images
posted2022/06/26 11:03
1976年6月26日、アントニオ猪木vsモハメド・アリの格闘技世界一決定戦
猪木がリアルファイトにこだわった理由
猪木はアリ戦の4カ月前、’76年2月6日に日本武道館でミュンヘン五輪柔道金メダリストのウィリエム・ルスカと初の異種格闘技戦で対戦。白熱の好勝負の末、バックドロップ3連発でTKO勝利している。
しかし、猪木はアリとの一戦を前にルスカ戦とはまったく違う覚悟を抱いていた。ルスカ戦はあくまでプロレスの範囲内での闘いであったが、アリ戦は完全なるリアルファイトで対戦しようとしていたのだ。
猪木が、ルスカ戦と同じようにプロレスの範囲内での異種格闘技戦でプロ中のプロであるアリと闘えば、世界中の人々を興奮させるエキサイティングな試合になったことは間違いない。しかし、猪木はあえて、だまし討ちのようなかたちにしてまで、リアルファイトにこだわった。のちに猪木はアリと闘った理由をこのように語っている。
「俺のプロレス人生は“それ(=八百長論)”との闘いだったから。要するに『ショーである』『八百長である』という偏見との闘い。だからアリと闘えばね、その偏見もなくなるわけだから。『今に見てろ、おめーら!』っていうね」
猪木は、プロレスを八百長視する世間の目を覆すために、金銭面を含めた多大なるリスクを背負って、一世一代の闘いに挑んだのである。
「アリ側のヤツが『これは危ない』って…」
一方、当初はエキシビション気分で来日し、お気楽だったアリだが、猪木が本当に真剣勝負をやるつもりだと知り、様子は一変する。しかし、すでに契約は済ませてあり、キャンセルすれば20億円のファイトマネーの3倍の違約金を支払わなければならない。もはや後戻りができない状況のまま、試合6日前の公開練習を迎えた。
「あのとき、アリ側を脅かしすぎたんだよな。公開練習で、猪木さんが俺にハイキックを入れたとき、俺は猪木さんの強いところを見せようと思って、思いっきり倒れたんだよね。そしたらアリ側のヤツが『これは危ない』ってことで、いろいろルールに禁止事項をつけてきたんだ」(藤原)
猪木は立った状態での打撃が禁止され、それ以外にも“裏ルール”と呼ばれるさまざまな制約があったとされる。アリ側が必死だったことは、アリのグローブを見てもわかる。通常、ボクシングで使用しているグローブは10オンスだが、この時のグローブはなんと特注の4オンスだったと言われている。先日の那須川天心vs武尊の一戦が、通常8オンスのところ6オンスの小さなグローブで行われたことが話題となったが、ヘビー級のアリがそれよりさらに小さなグローブをつけるのだ。いかに小さなグローブだったかがわかる。