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「僕も家族も最悪死ぬことを覚悟している」ヨットで世界一周を目指す脱サラセーラーに、妻が出した“たった1つの約束ごと”
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byAnne beauge/ilsaimentlamer.com
posted2022/06/25 11:03
海への憧れを捨てきれずに脱サラしてプロセーラーになった鈴木晶友36歳。6月26日にモロッコを出発するヨットレース『GLOBE40』でついに世界一周の船旅に挑戦する
ところが、出発から5日後、あと少しでスタート地点に到着というところでアクシデントに見舞われる。海で突然の襲撃を受けたのだ。犯人はなんと3匹のシャチ。海の最強ハンターに次々に舵板にかじりつかれ、最終的には舵板の下半分をもぎ取られた。
シャチを威嚇するために緊急でエンジンも使用した。通常ならエンジンを使うと90分のペナルティが課されるが、今回はレース委員会の裁定でお咎めなし。幸い舵も予備のものがフランスにあったため、取り寄せてどうにか交換を済ませた。
こんなトラブルもまたレースの一部である。
脱サラして追い続けた「七つの海をこの目で見てみたい」
「七つの海をこの目で見てみたい」と鈴木は言う。
セーラーがみな世界一周を目指すわけではなく、競技志向を突き詰めてオリンピックに臨む選手もいる。その中で鈴木が外洋レースにたどり着いたのは、いくつかの転機があったからだった。
最初は17歳の時、千葉県で行われたモス級ヨットの世界選手権にスタッフとして参加し、親しくなったオーストラリア人選手に誘われて春休みに1カ月の短期豪留学をした。そこで日本とは違って生活に溶け込んだ現地のヨット文化に強く惹かれた。
「金曜の夕方になると、みんな仕事が終わった後にシドニー湾のオペラハウスの前でヨットレースをやってるんです。こういうヨットの世界もあるんだなという衝撃が大きくて、自分もいつか海外に出てみたいと思いました」
法政大ではインカレ優勝などトップ選手として活躍し、卒業後は日立ソリューションズに就職した。ところが会社員生活の中で「もっとセーリングをしたい」という思いが抑えがたくなり、デスクワークに勤しむ日々に3年で別れを告げる。
次に選んだのはヨットの専門商社。自らもヨットに乗れる環境ができ、モス級の世界選手権にも出場するなどセーラーとしての活動は順調に進んだ。プライベートでは結婚もした。
「妻は私がヨットに乗っていることは知ってたんですけど、まさかいつか大西洋を渡りたいとか、世界一周したいという夢を持っているとは知らなかったんです。ただ、ある時に、やっぱり大西洋横断したい! という夢を思い出しちゃったんですね」
心の奥底にあった外洋への憧れに火をつけたのは、またしてもモス級の世界選手権だった。
再び日本で開催された16年の大会で鈴木の家にフランス人セーラーが2週間ホームステイした。彼はMini6.5を使った大西洋横断レース『ミニトランザット』で優勝しており、外洋レースでも名を馳せる選手だった。その彼から「マサ、お前はミニトランザットに出た方がいい」と毎晩のように説得されてその気になったのだ。
会社を辞め、本場フランスに渡って準備を始め、19年にはミニトランザットを完走した。大西洋横断をクリアすると、今度は世界一周への思いが募った。