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《あのアイドルレスラーは今》2児の母・キューティー鈴木52歳が告白する“壮絶な流産体験”…救った長男の言葉「シュートがいるから」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byMami Yamada
posted2022/05/19 17:00
2人の息子と笑顔で撮影に応じてくれたキューティー鈴木さん(2012年撮影)
盟友・尾崎魔弓との会話で知った「2人目不妊」
――初めての子育てはいかがでしたか。
キューティー バタバタしてた気がします。帝王切開だったので、産んでからは起き上がることも、歩くこともできなくて、退院してから4カ月ぐらいは実家にいて。母がいたのでよかったけど、うちに帰ってきてからは、今日からこの子はアタシが面倒を見なきゃいけない、この子の泣き声で起きられるかなぁとか、不安なことばかり。手探りでした。本をいっぱい買ったけど、赤ちゃんってそれぞれなので、読むとラクになることもあるけど、逆に不安になることもある。2人目を産んだときに、成長過程はそれぞれだって思えるようになりました。
――初産が高齢出産。それでも2人目を作ろうと、不妊治療に踏みきったんですよね。
キューティー 帝王切開じゃなければポポンと2人目を産みたかったけど、1年はあけないといけないということだった。すでに適齢期を過ぎていた私には時間がないから、自然妊娠を望んだけど、むずかしくて。そのとき、たまたまVシネマの仕事で一緒だった尾崎(魔弓/OZアカデミー)から、「知ってる? 2人目不妊ってあるんだよ」って聞かされて、いろいろ調べたら、1人目よりも2人目を産むときのほうが年齢が上がってるぶん、できにくいと。私の場合、いちばんの理由は年齢かなぁと思ったんで、治療をはじめようと思ったんです。
――具体的に、どういう流れになっていったんですか。
キューティー 体調やホルモンバランスに異変があってから、病院に連絡を入れるんですけど、「じゃあ、2日後に来てください」と言われるので、予定を立てられない。仕事をする女性にはむずかしいなぁと思いました。院内には、食事もできるちょっとしたスペースがあるんですけど、パソコンを開いて仕事をしてる女性、電話で打ち合わせをしている女性が多くて、それにもちょっとびっくり。
10年ほど前はまだ不妊治療を口に出しづらくて、働く女性は大変だったと思いますよ。私は専業主婦で、上の子が幼稚園。急に母や友だちに、「お迎えだけ行ってくれない?」って頼んだりして、いつから本格的な治療に入れるかわからなかったのがつらかったですね。