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母子家庭で育った大野雄大&柳裕也…中日のダブルエースが語る“球場招待プロジェクト”への思い「母親はホンマによく野球を続けさせてくれた」
text by
渋谷真Makoto Shibutani
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2022/05/08 11:03
交通事故で父を失った経験をもつ中日・柳裕也。今年から“あるプロジェクト”をスタートさせた
中学は硬式のクラブチームではなく学校の軟式野球部。「クラブチームは月謝が高かったので」。母の働く姿を見ていて、言い出せなかった。だから京都外大西高を卒業するとき、大野は進路面談で社会人野球を希望した。しかし誘ってくれる企業はなかった。仏教大では特待生ではなく授業料も全額払った。練習の合間にアルバイトで稼ぎつつ、夢見たプロへの門をこじ開けた。ドラフト当日に放映された某民放の特番で、大野の次に紹介されたある選手も、同じ母子家庭だった。
「西武の秋山翔吾(パドレス3A)ですね。活躍するのも早かったので、僕より前にひとり親家庭の招待を始めていたんです(2015年~)。そういうのも見ていたし、同い年で話す機会もありました。僕も(2016年に)年俸が1億円になって、いよいよ始めようとなったんです」
交通事故で父を失った柳裕也「やるべきときが来た」
大野が和田や秋山に触発されたように、大野を見て「いつかは自分も」と思っていたのが柳だ。「柳裕也招待プロジェクト」は、交通遺児や交通事故で障害を負った人(愛知県内)の家族を対象とする。
「やるべきときが来た。そう思いました。僕はそういう経験をできませんでしたけど、野球を見て楽しかった、球場で見ると違うね。そう思ってもらえれば幸いです」
昨シーズンは念願のタイトル(最優秀防御率と最多奪三振)を獲得。チーム内でのポジションも、年俸も上がったことで満を持して社会貢献をスタートさせた。
柳が交通事故で父を失ったのは小学6年のときだった。故郷の宮崎県都城市を15歳で離れ、高校は横浜高へ、大学は明治大を選んだ。しかし、こちらも特待生ではなかった。
「大学では日本代表などに選ばれると、スポーツ奨学金制度を利用できるんです。特待生ではなかったですが(横浜高の)渡辺(元智)監督には本当によく面倒を見ていただきました。親への感謝もそうですが、周囲の方々に支えられていたので、絶対にプロになる。その気持ちは誰にも負けなかったと思っています」