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「すごく愛を感じます」小松原美里が涙で振り返る“ティム・コレトの帰化決断”「恐怖はあったけど、美里がいればどこでもいい」 

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/04/22 11:00

「すごく愛を感じます」小松原美里が涙で振り返る“ティム・コレトの帰化決断”「恐怖はあったけど、美里がいればどこでもいい」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

北京五輪フィギュアスケート・アイスダンス日本代表の小松原美里、小松原尊(ティム・コレト)は、氷上のカップルであるとともに、国際結婚6年目のアスリート夫婦でもある

 初めて一緒に滑った日、美里の手を握った瞬間に「いい」と感じました。手を握る感覚って、パートナーによってだいぶ違うんです。最初から合っていたのでびっくりしましたね。

美里 二人の相性は、まわりで滑りを見ていたコーチたちもすぐにわかったみたいで「絶対に組みなさい」とも言われました。その場で「じゃあティムはいつイタリアに引っ越すの?」と(笑)。

 あれは面白かった(笑)。美里の技とか技術がすごいのは分かっていたから、できれば一緒に滑りたいと思いました。

――では、「五輪出場に向けて国籍を変える」という話題はペアを組むと決まった後に出てきたのでしょうか。

美里 いえ、将来について喋っている間も、どちらかが国籍を変えなきゃいけないかもという意識はありました。ふたりとも夢の一つに、オリンピック出場がありましたから。ただ、3日間で決められるわけはなく、あくまで話題の一つでしたね。

 正確な数はわかりませんけど、北京五輪でも12組くらい、パートナーのどちらかが帰化しているカップルがいたんじゃないかな。僕たちももう24、25歳だったので、オリンピックを真剣に目指すなら、どうしても国籍変更の話になっちゃう。

「国籍が変わったらどうなるんだろう」恐怖はあった

――自分のアイデンティティにも関わりますし、そう簡単に決断できるものではありませんよね。

美里 私がイタリア代表で滑っていたときも、当時のパートナーから、国籍変更の話を切り出されました。でも、日本はヨーロッパと違って多重国籍が認められていないんですよね。新たな国籍を得たら、元の国籍を放棄しなきゃいけない。私は日本が大好きだし、今の国籍を放棄するという選択肢はありませんでした。

――美里さんは抵抗感があるなかで、最終的にティムさんが日本への帰化を決断しました。どのように意思を固めていったのでしょうか?

 正直、最初は「自分の国籍が変わったらどうなるんだろう」という怖さがありました。でも日本を訪ねて、美里の家族と一緒に過ごすなかで「これでいいのではないでしょうか」と(笑)。美里がいればどこでもいいという思いが強まっていきました。

――アメリカのご家族は尊さんの決断を、どのように受け止められていました?

【次ページ】 美里「自分には絶対にできない決断でした」

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