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3年前、“巨人ドラ1”のストレートを受けた衝撃「佐々木朗希は別として、全国トップクラス」堀田賢慎20歳はここから逆襲できるか
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph bySankei Shimbun
posted2022/04/11 17:15
3月31日のヤクルト戦(神宮球場)でプロ初登板、初先発、初勝利の堀田賢慎
「世の中では、佐々木朗希ばかりが評判になってますけど、自分だって“岩手”なんで、いつかは負けないぐらいのピッチャーになってやるんで」
こう話した堀田投手。同じ岩手の生まれ育ち。同い年の東北のライバルの存在に、負けん気をむき出しにする場面もあった。
笑顔の裏に、そういうキバがあれば勝負になる。頼もしかった。
ドラフトが近づいて、堀田賢慎を育てた青森山田高・兜森崇朗監督と話す機会も増えた。
「いきなりはないかもしれませんけど、“1”はありそうですよ」
1位指名の12人には入ってきそうです……事前の状況を伝えると、
「いやいや、まだまだ。実力的にも、人間的にも、そこまでの生徒じゃありませんよ。彼はまだ、勉強することだらけです」
こちらはありのままの様子を伝えているのに、兜森監督という方は、いつもそういう方だ。
「安倍さんがおっしゃってた通りになって、ただただ驚いてます。選手としてだけでなく、評価に値するような人間になれるように、勉強してほしいですね」
巨人の1位指名が決まった日にも、青森の雪の夜のように、静かに話しておられたものだ。
星稜高・奥川恭伸(現・ヤクルト)、東芝・宮川哲(現・西武)を続けて抽選で逸した末の「1位」ではあったが、紛れもなく、その年のアマチュア野球の「トップ12」の一角に登り詰めた堀田賢慎。
巨人入団後、2年間の「いばらの道」
しかし、巨人での昨年までの2年間は「いばらの道」が続いた。
入団直後の右ヒジ故障(ヒジ内側側副じん帯損傷)からのトミー・ジョン手術。闘病中に育成選手契約になって、リハビリの三軍生活から地道な努力を重ねた。昨季はイースタンで、今春はオープン戦で復活の兆しを見せて、ペナントレース開幕前の3月11日に支配下登録を取り戻し、31日のデビュー戦でヤクルトを6回5安打無失点に抑え、プロ初勝利を飾るまでにこぎつけた。
そのデビュー戦、神宮球場のマウンドで、昨季セ・リーグ優勝のヤクルト打線に立ち向かった堀田賢慎のマウンドさばきは、高校からプロに入ってわずか3年目の投手には見えなかった。
マウンド上から見下ろすようにバッターを打席に迎えると、見つめる目つきにひるみがない。渾身の腕の振りで堂々と投げ込んで、ヒットを打たれると打球の軌道をしっかり見届け、下を向いたりしない。打たれた次の打者の初球も、場合によっては捕手のサインに首を振って、最大の武器のストレートで攻めて、決して弱気を表に出さない。
リハビリの最中、同期の佐々木朗希、奥川恭伸が順調に一軍登板へのプログラムを消化していただけに、「我慢」の時間は相当に辛かったろうが、そのぶん、余計に強くなっている。
そして、何より、かっこいい。マウンド上の立ち姿に身のこなし。居ずまいが、さまになっている。
「マウンドの姿に品があって、いいなぁ」
「どうでしたか、堀田のボール?」