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快挙尽くしのりくりゅう、木原龍一29歳と三浦璃来20歳「まだまだ上にいけます」…五輪から世界選手権まで駆け抜けた2カ月
posted2022/03/26 11:04
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto
涙のあとに、笑顔が広がった。
フランス・モンペリエで行なわれているフィギュアスケートの世界選手権のペアで、三浦璃来・木原龍一が銀メダルを獲得した。ペアでの表彰台は10年ぶり、銀メダルは日本初という快挙である。
男女シングルの活躍に比し、日本のペア競技は競技人口が少なく環境も恵まれず、国際大会では苦戦を強いられてきた。オリンピックでは三浦・木原の北京五輪7位が日本初の入賞であったこともそれを物語るし、三浦・木原が北京そしてこの世界選手権で達成した成績の大きさも伝わってくる。
その北京五輪では7位入賞とともに団体戦の日本銅メダル(ドーピング問題により暫定の成績)と功績をあげ、そこからひと月あまりで迎えた今大会だった。
史上初の銀でも「悪いところがすべて出ました」
ショートプログラム3位で迎えた3月25日のフリー、最終グループ4組のうち2番目の滑走順でリンクに立った2人は滑り終えて1位。この時点でメダルを確定させた。
ただ、演技を終えたあと、三浦は硬い表情を浮かべた。「ごめん」と木原に言ったようだった。
たしかに本来の滑りはできなかった。予定していた3連続ジャンプではバランスを崩し決め切れず、トリプルループのスロージャンプで三浦が転倒するなどした。技術点では自己ベストの70.11点に及ばず60.97点。フリーの得点も127.97点と伸び悩んだ。
だから演技については反省が口を衝いて出た。
「練習からよい練習ができていなくて、悪いところがすべて出ました」(木原)
「私自身の弱さがすべて出た試合でした。悔しいです」(三浦)
難航した調整…それでも「僕たちのスケートを世界に」
大会までの調整は簡単ではなかった。北京五輪ではペアがフィギュアスケートの中で最終実施種目であったことから、序盤の団体戦から長期間滞在。団体戦では日本のメダルのために、個人戦ではペアの存在感を示すために、責任感を持つ2人は緊張も長く強いられることになった。
そこから解放されて、さらに世界選手権へ向けての再調整は困難を極めた。木原は言う。