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福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた

posted2022/02/01 11:03

 
福島千里が笑顔で引退「頑張れるところは頑張ってきた」…“日本短距離界の女王”はこうして世界と戦ってきた<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1月29日に引退会見に臨んだのは、長らく女子短距離界を牽引してきた福島千里だ

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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JIJI PRESS

 1月29日。引退会見に臨む福島千里の表情には、どこか安堵感をも含んでいるように見えた。

「寂しさはもちろんあります。十分にやりきったかと言われれば分からないですけど、私的には本当にやりきったというか、頑張れるところは頑張ってきたかなと思います。達成感はそこまではないですけど、解放感というのは少しあるかなと思います」

 福島が使った“解放感”という言葉に、彼女が日本女子短距離界のエースとして長い間、どれほどの重圧を背負ってきたか、想像してみようと試みる。だが、おそらく我々の想像が及ばないほどに、それは重く大きなものだったに違いない。

 福島は、北京、ロンドン、リオデジャネイロと、オリンピックに3大会連続で出場。昨年の東京大会で4度目のオリンピック出場を目指したが、結局叶わず、現役引退を決断した。

高校生の時に日本ジュニア選手権で優勝

 福島は、早くから全国区でその名を知られた存在だった。

 帯広南商業高(北海道)時代には日本ジュニア選手権で優勝の実績を挙げている。しかし、同学年には、インターハイの100mで史上初の3連覇を果たした高橋萌木子、200mで当時のジュニア日本記録を打ち立てた中村宝子といった強力なライバルがおり、当時は、どちらかといえば、高橋や中村のほうが目立っていた。

 その後も、高橋とは数々の名勝負を見せることになる。スタートを得意とする前半型の福島に対し、ダイナミックな走りで後半に追い上げる高橋は対照的なレーススタイルで、フィニッシュの瞬間まで目が離せない接戦を繰り広げてきた。

北京五輪は「原点」、56年ぶりの五輪日本代表へ

 そんなライバルたちと激闘を演じながら、福島が一気に日本のトップへと駆け上がったのは、北海道ハイテクACに進んで2年目の2008年のことだった。

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