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《追悼》国見で6度選手権制覇、名将・小嶺忠敏が明かしていた“三浦淳寛の伝説” 「大会期間中だけは自主練習をやめてくれ」
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/01/07 11:04
小嶺忠敏が厳しくも愛情のこもった指導で育てた“個性的プレーヤー”は数知れない
「実はあのとき、三浦の後をついて行ったんですよ」
「選手権期間中、私は旅館の玄関近くに寝るんです。眠っていたら、耳元でゴトゴトって物音が聞こえてね。実はあのとき、私は三浦の後をついて行ったんですよ。案の定、公園で練習していた。それほど彼と永井は、私が何も言わなくても、自分で考えて練習できる選手でした」
自分の長所とは何か。それを考え、自分自身で徹底的に磨く。そうして、突破力と得点力を兼ね備えた三浦や永井、大久保嘉人のような、個性的なプレーヤーが育った。
小嶺はそれを、じっと見守る。
「見守ることは、一番大事だと思います。見守り続けることで、私自身の勉強にもなるんです。継続は力なり。私の考え方では、個人練習を1日何時間もやる必要はないと思っています。キックの練習なら、右足20本、左足20本やればいい。それを1カ月続ければ600本ずつになるわけですから。
たしか三浦が高校2年の9月だったと思います。彼が自主的にキックの練習をしているとき、私は横で椅子に座って見ていました。彼は軸足の位置を変えたり、蹴り足の角度を変えたり、常に工夫して練習していました。すると突然、三浦の蹴ったボールがものすごくブレた。プロ入り後、彼の代名詞になった無回転シュートが誕生した瞬間です。私にとっても発見でした」
生徒に語りかける機会は確実に増えました
元号が令和になっても、選手権の舞台に小嶺の姿はあった。'19年大晦日、長崎総科大附属を率いて、丸岡との初戦に臨んだ。
時代が変われば、子どもたちの性格も、考え方も変わる。三浦のように、小嶺が何も言わなくても、地道に練習に取り組む生徒は減った。逆に、小嶺の顔色を窺う選手が増えたように感じている。
だからこそ、指揮官の選手たちへのアプローチも少しずつ変えた。
「今の生徒たちは、なかなか自主的にはやらない。それならば、こちらがやらせないといけない。生徒に語りかける機会は、以前よりも確実に増えました。三浦や永井のようにコツコツと頑張って成功した選手の実名を挙げながら、『練習は、監督である俺のためにやるんじゃない。自分のためにやるんだ。勉強も、そう。親のためじゃない。自分のためにやるんだ。継続することこそ、大事なんだ』と」