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[ノンフィクション]漸進 三代直樹の知られざる20年
posted2021/12/18 07:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Rinko Kawauchi
バタバタで、バラバラで。
後ろを振り返ることなく、ただただ前に向かって。
1999年、箱根駅伝“花の2区”。渡辺康幸が打ち立てた不滅とさえ言われた大記録を塗り替えて日本中を驚かせたのが、順天堂大学のエース三代直樹の快走だ。
「権太坂はあまり苦に思っていませんでした。やっぱり最後の3km。上って下って最後の上りというところで意識が飛びそうになる。保土ヶ谷バイパスあたりから(体力が)ちょうど0%になりかけて“あと3kmだけど大丈夫かな”っていう不安があった。それでもペースアップして襷を渡さなきゃいけないと思いました」
カッコ良く襷をつないだわけじゃない。「バタバタで駆け下り、バラバラのフォームなんか気にせず持てる力を振り絞って」渡辺の区間記録を2秒更新する1時間6分46秒をマークした。「最後の3km」をガムシャラに走り切った結果、偉大なランナーを上回ったのだ。
あの輝きは、明るい陸上人生の序章だと誰もが思った。
しかしながら――。
富士通に入社して社会人ランナーになってからはケガとの闘いが待っていた。三代のその後のストーリーはあまり知られていない。
陸上との出会いは、偶然でもあった。
島根・松江市に生まれ、小学校ではサッカー少年。中学に入るとソフトテニスに熱中した。ひょんなことから駅伝大会に駆り出されるようになり、アンカーを務めた3年時に区間賞と2連覇を達成したことによって県内の高校から誘いが来た。大好きなソフトテニスを続けることも考えたが、可能性を感じた陸上のほうに懸け、地元の松江商業高校に進学した。