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23年守ったシードを喪失…52歳・藤田寛之が目指すものは? ガンを宣告されてもツアー出場を続けた“マムシ”の残像
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2021/12/09 06:00
初めて手にした賞金シード権を手にした1997年以来、23シーズンに渡って守ってきた権利を喪失した藤田寛之。52歳となった今も、まだ目指すものがある
11月末、藤田は遠征の合間に福岡の実家に立ち寄った。「大変みたいやねえ」。そう声をかけてくれたのは母だった。わき目もふらず、勇猛果敢に第一線で残し続けてきた結果こそが、プライドだった。誰もがそれをわかっている。
だが、勲章のひとつを失っても、藤田はプロゴルフの世界では必ずしも記録や結果、タイトルのみが価値として優先されるものではないことも知っている。
自身が一流選手の階段を上っていた時代、老いていく先輩たちに「いつまでいるの?」と挑戦的な目を向けていた時代、密かに憧れたベテランプロがいた。永久シード選手のひとりとして日本のゴルフ界に歴史を残し、2011年に74歳でこの世を去った杉原輝雄である。
AONの登場以前、プロゴルフ創成期を牽引した杉原は、勝負から決して逃げないその生き様で“マムシ”の異名を持った。半世紀のプロ生活で勝ち取ったタイトルの数はもとより、生涯現役を貫いた姿に心を打たれた人は多かった。晩年に前立腺がんを宣告されてもツアー出場を続け、2006年には68歳にしてレギュラーツアーの予選を通過。身長160センチあまりの体躯の背中は、藤田にはいつも大きく見えた。
「杉原さんは『いてくれることがありがたい』という選手で、強さとは違う存在感、影響力がすごかった。職人プロゴルファーの杉原輝雄の魅力は種類が違ったと思う」
日本ツアーのトップを争う賞金王レースに加わり始めた、40代に差し掛かった頃、藤田は「ああいうプロになったら本物だ」と目に見えた成果とは違う価値観も持つようになった。
「賞金王になったり、たくさん勝ったりしているときに応援してくれる人はたくさんいる。ただ、そうでなくても応援をしてもらえる選手は“職人プロゴルファー”としての価値は高いと思う。そうなりたい、と思ってやってきた自分がいる」
藤田が杉原の背中に見たものは、「観る人のためにプレーする」というプロアスリートとして本来的なものである。
賞金シードは失ったが、52歳は幸い、来季も別の資格でレギュラーツアーを主戦場にできる。そしてなにより記録が途切れても、勲章を失っても、プロゴルファーとして終わりではない。
雲間から射すであろう光に、必死に目を凝らす日々はまだ続く。