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Jをめぐる冒険BACK NUMBER
久々の“日本代表アウェイ取材”で驚いたこと…「柴崎、南野、吉田のファンなんだ」と喜ぶ警備員、現地PCR検査や羽田の水際対策は?
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2021/12/02 17:03
オマーン戦の記者席から。試合取材に至るまで様々な驚きの出来事があったという
伊東は自身がMOMに選ばれたことに恐縮している様子だった。
「今日、個人的にはあまり良くなかったんですけど、チーム一丸となって走って、戦えた。勝てたことがすべてだと思います」
会見が終了し、壇上から降りた森保監督は、日本のメディア7人(記者6人とDAZNの中継スタッフ)のもとに来て、一人ひとりとグータッチをして回った。そこでMさんが「本当に良かったですね」と声をかけると、「人生はすべて、生きるか死ぬかですから」という言葉を残して去っていった。
森保監督が三笘投入を決断した頃、オマーンの隣国であるUAEのシャルジャで日本にとって喜ばしい状況が生まれていた。1時間早く始まったゲームで、オーストラリアが中国と1-1で引き分けたのである。
これで日本はW杯出場ストレートインとなるグループ2位に浮上したのだった。
羽田の水際対策は、オマーンとは比べものにならない
試合翌日の朝、原稿の執筆を中断して外に出た。前日に受けたPCR検査の結果を「アル・ラファ・ホスピタル」に受け取りに行くためだ。
無事に陰性証明書をもらい、日本の書類にもサインしてもらった。
これで帰国できる!
1年半ぶりの海外渡航が、日本代表のアウェイ取材が、間もなく終わろうとしていた。
深夜2時45分にマスカット国際空港を発った飛行機は6時間後、フランクフルトに到着。ソーセージやオムレツとともに1週間ぶりのビールを胃袋に流し込み、羽田への便に乗り込んだ。
約24時間かけて戻ってきた羽田空港では、水際対策の関門が次々と待ち受けていた。
PCR検査の陰性証明書の提示に始まり、ワクチン接種証明書の提示、PCR検査用キットの受け取り、唾液の採取、隔離中に使用するアプリのインストールと説明、誓約書の提出へと進み、検査結果を待った。
オマーンに入国した際とは比べものにならないくらいの工程数がある。
3時間かかると聞いて覚悟していたが、朝に到着した便だったため、入国者の数がまだ少なかったのだろう。思いのほかスムーズに進み、羽田到着から1時間半くらいですべてを終えた。
公共交通機関は使用できないので
空港からの移動に公共交通機関は使用できない。一般的には高額なハイヤーを予約するところだが、ここでも僕には心強い味方がいた。
もちろん、Mさんである。
羽田空港まで自家用車で来て、駐車場に停めていたMさんに拙宅まで送ってもらおう、というわけだ。
言い訳しておくと、インタビューでヨーロッパに行くときはもちろんひとりだし、19年10月にはひとりでU-22日本代表のブラジル遠征を取材している。
ただ、今回はコロナ禍という特殊な状況で、しかもMさんの情報収集力があまりに高いので、これはもう頼ってしまおうと思っただけなのだ。
もちろん、恩恵に与かっているだけではない。飲み物をご馳走したり、羽田空港の駐車場代を支払ったりして、感謝の気持ちは伝えている、さりげなく。
来年3月のオーストラリア戦は、果たして?
数々の困難が想定されたコロナ禍の海外渡航だったが、振り返ってみると、幸運なことに、「羽田空港夕食事件」が最も想定外のアクシデントだった。
さて、次の海外遠征は来年3月のオーストラリア戦になるはずだ。その前の1月、2月のホーム連戦は必ず勝利しなければ、今回のアウェイ連勝の価値がなくなってしまう。
3月のアウェイゲームを迎えるとき、日本代表はどんな立ち位置にいるだろう。
今回のアウェイ2連戦でベンチ外となった東京五輪戦士たち――前田、上田綺世、旗手怜央らはそのとき、ピッチに立っているだろうか。
車の助手席に身を委ねながら、そんなことを考えていた。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。