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<“無敵のエース”の原点>オリックス山本由伸18歳が最後の《神戸の青濤館》に入寮して見た「鈴木一朗」のネームプレート
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/11/30 11:07
中嶋監督から神戸でのマウンドを託されたオリックス山本由伸。日本一は逃したものの、エースとしての仕事は果たした
その約1カ月間、新人選手はふとした瞬間に伝統の重みを感じた。空き部屋のまま保存されていた406号室の「鈴木一朗」のネームプレートを見た山本は、「イチロー選手はずっとテレビで見ていた憧れの存在だった。そういう人が、ほんのちょっとですけど、身近に感じるというか。すごいところだなと思いました」と初々しく語っていた。
山本が今年、五輪やCSなど未経験の舞台に向かう前に口癖のように言っていた「ワクワク」も、入寮時からすでに使っていた。
「明日から合同自主トレが始まるので、ワクワクしている気持ちが一番大きいんですけど、あんまり張り切りすぎて怪我をしないように、しっかり準備をしてやっていこうと思います」
同じ日に入寮した山岡は、「将来、『あの寮に最後に入った年の選手はよかったよね』と言われるようになりたい」と語っていたが、まさにそれが現実となっている。
鮮烈だったブルペンデビュー
山本のブルペンデビューは鮮烈だった。入寮1週間後の1月16日に、山本と澤田が新人の中で最初にブルペンに入ったが、山本の球を目にしたコーチ陣は色めき立ち、記者陣もざわついた。都城高校時代は、九州では名を知られていたが、甲子園出場経験はなく、全国的にはあまり注目されていなかった。その場にいたほとんどの人間が、その日初めて山本のボールを見て、唸りを上げるストレートに目を奪われた。
それでも、「フォームを意識しながらなので、8割ぐらいでした」と言ってのけた。
将来的な目標を聞くと、「球界を代表するピッチャー」と答えた。
それから5年。もともとの素材も素晴らしかったが、その後の進化の早さもとてつもなかった。
1年目の8月に一軍初勝利を挙げると、2年目はセットアッパーとして活躍。3年目から先発ローテーションに入り、2019年は最優秀防御率、20年は最多奪三振のタイトルを獲得。若くして「球界を代表するピッチャー」となり、東京五輪では日本のエースとして金メダル獲得に貢献した。
今シーズンは5月28日から15連勝でレギュラーシーズンを終え、18勝5敗、防御率1.39、206奪三振で、最多勝、最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振の投手4冠に輝き、沢村賞も受賞した。