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父は監督「他校の野球部を勧めていた」…それでも“岩手の怪物”佐々木麟太郎が《花巻東進学》を強く希望したワケ
posted2021/11/30 11:03
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph by
Yuki Suenaga
「今まで誰もやったことがないような新たな道を切り拓けるように。新たなことを起こせるように頑張っていきたいと思っています」
明治神宮野球大会の前日、佐々木麟太郎は決意を口にした。
麟太郎という名は、咸臨丸で日本で初めて太平洋を渡った勝海舟の幼年期の名前に由来している。
「色々な意味をこめて、父が名前をつけてくれたと思っています」
その思いに応えたい。とても強い意志を感じた。
父でもある佐々木監督は“他校の野球部”を勧めていた
佐々木は、花巻東の佐々木洋監督を父に持つ。
「父子鷹」という表現も目にするが、互いにさまざまな葛藤を乗り越え、今に至る。
監督は息子の同校への入学に対して、悩んでいた時期もあった。花巻東に入りたいという息子の気持ちは痛いほど理解している。しかし父親として、指導者として何が正解なのか。公平に公正に指導ができるのか。同じ立場の人間なら、同じように悩み、ぶち当たる壁かもしれない。
幾度となく全寮制の他校の野球部を勧めたこともあった。しかし息子の意志は硬かった。
「(菊池)雄星選手、大谷(翔平)選手の野球を見て育ち、ここのチームで野球をしたいというのが小さい頃からの明確な目標でした。野球だけではなく人として成長できる環境だと思って、他の学校は考えられませんでした。それを監督さんに伝え、チームに入れて頂くことができました。一度しかない人生です。ここでプレーして、人生の糧にしたいと思ってます。ここで野球できることに本当に感謝しています」
最初の記憶は“2009年の衝撃”
佐々木は2005年4月に生まれ、物心ついたときには花巻東の野球を見てきた。幼い頃、何度も甲子園に応援に駆けつけている。
「甲子園の最初の記憶は2009年だと思います」
菊池雄星を擁した花巻東は2009年センバツで準優勝、夏はベスト4まで勝ち上がった。幼かった麟太郎少年もチームの勝利に喜び、敗北に涙した。そして将来、花巻東のユニフォームを身につけプレーしたい、そう思った。