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《三冠馬のラストラン》ディープとオルフェは有終の美、ブライアンはまさかの結末…JCでターフを去るコントレイルの運命は?
posted2021/11/26 17:04
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
JIJI PRESS、BUNGEISHUNJU
昨年、史上3頭目の無敗の三冠馬となったコントレイルが、今週末の第41回ジャパンカップをラストランとして、現役を退く。
菊花賞から中4週で臨んだ昨年のジャパンカップは、アーモンドアイに1馬身1/4及ばぬ2着。史上最多の芝GI9勝目を挙げた歴史的女傑の前に初めての敗北を喫したわけだが、メンバー中最速の末脚を繰り出し、「負けて強し」の内容だった。
しかし、今年の年明け初戦となった大阪杯で3着、前走の天皇賞・秋では2着と、その後も勝てないレースがつづいている。
はたして、コントレイルは、眩い輝きを取り戻してフィナーレを飾ることができるだろうか。
ラストランでの「復権」を願いつつ、歴代の三冠馬がどのようにして競走生活を終えたのかを振り返ってみたい。
ラストランは短距離戦、7歳で夭折したブライアン
まずは、現在の競馬への連続性が強い、平成に入ってからの三冠馬を見ていこう。
平成最初の三冠馬となったのは、1994(平成6)年にその座についた「シャドーロールの怪物」、ナリタブライアンである。
とにかく、この馬は、勝つときの迫力が凄まじかった。三冠では、皐月賞で3馬身半、ダービーで5馬身、菊花賞で7馬身と、合計15馬身半もの着差をつけ、圧倒的な強さを誇示した。この合計15馬身半という着差は、歴代の三冠馬のなかで最大である。
3歳時の有馬記念も制し、4歳になった95年、年明け初戦の阪神大賞典を7馬身差で圧勝。この時点で通算成績を15戦11勝としたのだが、11勝すべてで2着にコンマ5秒以上の差をつけていた。
しかし、阪神大賞典のあと、右股関節炎を発症していることが判明。休養を余儀なくされた。
同年の天皇賞・秋は12着、ジャパンカップは6着、有馬記念は4着に終わるも、翌96年の阪神大賞典で、マヤノトップガンと600mにわたって叩き合い、頭差の勝利をおさめた。キャリアで初めての辛勝は、競馬史に残る名勝負となった。それでも、管理していた大久保正陽元調教師によると、まだまだ本来の状態ではなかったという。
つづく天皇賞・春はサクラローレルに2馬身半離された2着に敗れ、次走は中京芝1200mのスプリントGIの高松宮杯という異例のローテーション。さまざまな批判があったなか2番人気に支持され、フラワーパークからコンマ8秒差の4着となった。
その後も現役を続行する予定だったが、6月に右前脚に屈腱炎を発症。現役を引退することになった。