濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
5年ぶりの死闘、RENAと山本美憂はなぜ“笑顔”だったのか? RENAが「ハッピーエンドにはさせない」と語った裏に《KIDとの物語》があった
posted2021/11/24 17:00
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
RIZIN FF Susumu Nagao
11月20日のRIZIN沖縄大会には“ご当地ファイター”が大量に参戦していた。地元でのチケット販売の後押しにという目論見もあっただろうし、沖縄で頑張っている選手たちにビッグマッチ出場のチャンスを、という意図も見える。
オープンしたばかりの沖縄アリーナを、榊原信行CEOは「RIZINの西の聖地にしたい」と言う。継続開催のためには今回の“1発目”がどれだけ盛り上がるかが重要で、そのためにも沖縄ゆかりのファイターの活躍は欠かせなかった。
沖縄在住、沖縄出身の選手だけでなく、沖縄の基地で働く米兵もこの『RIZIN.32』に出場している。実はメインイベントに出場した山本美憂も“沖縄勢”だった。沖縄を拠点にしていた時期があるのだ。
沖縄で果たしたかった山本“KID”徳郁との約束
女子レスリングのパイオニアとして知られる美憂は、2016年にMMA転向。デビュー戦に敗れると沖縄の元ボクシング世界王者・平仲信明氏のもとで打撃を磨いた。弟でありコーチでもあった山本“KID”徳郁も沖縄にジムを開設している。
格闘家としても、また家族全体でも思い出の地である沖縄でRIZINが開催されると聞き、美憂は参戦を志願した。2018年に亡くなったKIDとの“約束”を果たしたいという思いもあった。
美憂がデビュー戦で闘ったのはシュートボクシング王者のRENA。RIZIN旗揚げとともにMMA参戦を果たすと、劇的な一本勝ちで大会の“顔”の1人となった。2016年9月、美憂にとってのMMA初戦は一本負け。
「やり返すぞ。次は絶対に勝てるから」
試合後に言ったのはセコンドのKIDだった。その約束を果たすために、沖縄は最高の場所だった。美憂曰く「あの試合で一番悔しがっていたのがKIDでした」。
RENA「KIDさんとも闘うつもり」
RENAの胸にも、KIDの言葉は深く刻まれていた。試合前には「KIDさんとも闘うつもり、2人と闘うつもりで練習してきました」と語っている。
美憂もRENAも前回の対戦とは別人だというのが関係者の一致した見解だった。打撃、テイクダウン、グラウンド、それぞれのオフェンスとディフェンス。あらゆる面でレベルアップしたから、独自の武器(RENAは打撃、美憂はタックル)がより活きる。実力も話題性もある選手たちのリマッチは、大会のメインイベントとして組まれた。RENAvs美憂の実現が、大会開催への決め手になった部分もあるという。