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「小学校の先生が掲示板に東スポの記事を…」19歳でプロ9年目、スターダムの高速爆弾娘・AZMが女子プロレスに捧げた青春
posted2021/11/19 17:02
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「最初はシュートボクシングをやっていました。お父さんが空手の先生で『空手やらない?』と言われていたけど、厳しそうなのでどうかなって(笑)。通っていたシーザー武志さんのシュートボクシングのジムで、スターダムのGMだった風香さんに『プロレスやってみない?』と誘われて会場に見に行ったら、9歳の選手がいたんですよ。その子を見て『カッコいい。プロレスラーになりたい』と思いました。親は軽く『やればいいんじゃない』って。すぐに辞めると思ったんでしょうね(笑)」
女子プロレス団体・スターダムで活躍するAZM(あずみ)は2011年、小学3年生でプロテストに合格した。
「小学校では仲のいい友達にしか話していなかったんですけど、先生が『あずみちゃん、載ってるじゃん。プロレスラーになったの!』って東スポの記事を廊下の掲示板に張り出して、結局みんなに知られてしまいました(笑)」
デビュー戦の対戦相手が最高のお手本に
デビューを迎えるまで試合をすることはなかったが、練習以外にこんな経験もした。
「試合の休憩時間に風香さんの10分位のトークコーナーがあって。ゲストを呼んでやるんですが、そこでサブ司会をしていました。ゲストの選手に試合を持ちかけて、5分くらい戦ったこともあります」
2013年10月、ついに訪れたデビュー戦。AZMはちょっとしたハプニングに遭遇しながら、パッション2号(夏樹☆たいよう)と対戦した。
「デビュー戦は痛いとか苦しいとか、みんな嫌な思いをするって言うんですけど、最初から楽しくプロレスができました。相手が夏樹さんだったからでしょうね。本当はパッション・ナッキーという名前のマスクマンだったのに、夏樹さんがマスクを忘れてきたんですよ。だから百均のマスクで代用したんです。『これでやるしかねえ』って(笑)。2号、3号、4号とあったので、2号が夏樹さん、3号は(岩谷)麻優さん、4号を世志琥ちゃんが被って。今となっては、めっちゃレアなマスクです(笑)」
夏樹と出会えたことはAZMにとって幸運だった。「小柄で俊敏な女子プロレスラー」の代名詞的な存在であるハイスピード初代王者に、AZMは大きな影響を受けた。
「夏樹さんは運動神経がすごくて、とにかく速くて。基本的にプロレスはでかい方が有利ですけど、夏樹さんを見て『小さくても不利じゃないんだ。こういう選手になりたい』って思いました」
学校生活も全力投球で「奨励賞」をゲット
プロレスラーとしての活動と平行して進学した高校では、入学式で新入生代表の挨拶を担当した。
「入学が決まって最初に学校に行ったとき、『あずみちゃん、やってみない?』『はい、やります』っていう軽いノリで。それから学級委員もやっていました。私、自分では“コミュ障”だと思うんですけど、なぜか人前に出ることが楽しかったんです。今は話すのも、やっと平均くらいになったかなぁ」