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[ライバルが明かす松坂との物語(5)]タフィー・ローズ「本物だと感じた、衝撃の95マイル」
posted2021/11/05 07:06
text by
ブラッド・レフトンBrad Lefton
photograph by
JIJI PRESS
1999年から2003年まで、松坂とは近鉄の主砲として真剣勝負を続けてきた。本塁打記録となる55号を好敵手から放ってみせた最強助っ人は米国の地で今、何を思うのか。
2001年に55号を松坂から打ったことは昨日のことのように覚えているよ。あの試合(9月24日)は5回に僕がホームランを打った時点で負けていて、喜ぶに喜べなかったんだ。でもその後ノリ(中村紀洋)がサヨナラ本塁打を打ってくれて、個人としてもチームとしてもとてもハッピーだった。あの1年はチームも優勝したし、本当に素晴らしい思い出になっているよ。
あの時の映像を3、4カ月前に久々に見たけど、マウンドの松坂もネクストバッターズサークルのノリもブロンドヘアーだった。当時日本では流行っていたんだよね。
55号を打ったボールは、チェンジアップだった。僕はその前に投げてきたストレートを待っていたんだ。前の球と同じような真ん中やや外目のコースで、実際に来たのがチェンジアップ。ただ、普段の低くコントロールされたボールではなかった。僕は早めにスイングしてしまっていたけど、そのボールにバットを出したら、幸運にもスタンドまで届いてくれたんだよね。
松坂の存在を初めて知ったのは“甲子園”だった。アメリカでは高校生の年代は一つのスポーツに専念することはあまりなかったから、甲子園というトーナメントに懸ける高校球児たちを「すごいな」と一種の畏敬の念を持って見ていてね。だから彼が春夏の大会を連覇した高校生ということは甲子園を見て、よく知っていたんだ。