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“神様”バースの名前が阪神スタメンから消えた日「君は、解雇だ」…あの日本一から3年、なぜ阪神とバースは“泥沼の争い”になった?
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2021/11/04 06:01
1983年に来日。2年連続三冠王、日本記録のシーズン打率.389、7試合連続本塁打などの偉業を残したバース。なぜ日本一から3年後に引退になったのか?
一本の電話「君は、解雇だ」
目の異常を訴えた愛息ザクリー君の精密検査をすると、頭部に水がたまる水頭症で、脳腫瘍の疑いがあると診断されてしまう。泣き崩れるバース夫妻。もう野球どころではない。早急な治療が必要だ。それ以降、バースの名は阪神のスタメンから消えた。5月13日から14日にかけて、バースは球団側と話し合い、ザクリー君をサンフランシスコの病院に移すため、5週間だけアメリカへ帰国してよいという契約書にサインをさせられる。
息子の治療費は契約通り球団が保険で支払ってくれるのかと聞くと、友人で阪神編成部員兼通訳の本多達也は「間違いなく支払う」と答えたという。だが、実際のところ球団は保険には加入しておらず、この治療費を巡り、のちに阪神とバースは泥沼の争いをする事態になる。
帰国後も電話で何度かやり取りして、契約書通り6月中旬に一度日本へ戻ると話すバースに対して、「なにも無理して帰ることはない。6月21日までに、いつ帰って来られるか知らせてくれ」と本多から提案される。それが、やがて7月1日に帰ってきてほしいという要望に変わったため日程を調整し、ザクリー君の容態も安定したことから、バースは6月26日に球団事務所に電話を入れて「いつでもタイガースの望む日に日本に行けるから」と本多に伝える。しかし、だ。翌27日午前4時、バースのもとに一本の電話が入る。
「君は、解雇だ」
<後編に続く>
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