ぶら野球BACK NUMBER
“神様”バースの名前が阪神スタメンから消えた日「君は、解雇だ」…あの日本一から3年、なぜ阪神とバースは“泥沼の争い”になった?
posted2021/11/04 06:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
「バースの再来」
野球ファンはこの言葉をいったい何度耳にしたことだろう。阪神に新外国人選手が来る度、30年以上にわたり今度こそはと期待され、その現役時代には生まれてもいなかったドラフト1位スラッガーの佐藤輝明が入団すれば、「バースと誕生日が同じや!」なんて盛り上がる。
ちなみにバースが来日した1983(昭和58)年に任天堂から発売されたのがファミリーコンピュータだ。令和の最新ゲーム機PS5を見て「ファミコンの再来!」と言っちゃうレベルで「バースの再来」は息の長い表現なのである。
来日時、名前をカタカナ表記すれば“バス”が一番近いが、マスコミや熱烈ファンに「おんぼろバス」と野次られることも心配して登録名は“バース”になった男が打ち立てた2年連続三冠王、日本記録のシーズン打率.389、7試合連続本塁打という偉業の数々。54本塁打を放った85年、背番号44はペナントと日本シリーズでダブルMVPを獲得して、阪神21年ぶりのリーグVと球団初の日本一に導く。ジレットのテレビCMでトレードマークのヒゲを剃り「カミソリノ、サンカンオウダ」と笑い、プロ野球史上最も有名な助っ人選手になった。
だが、昭和最後のシーズンに“神様”は突然、甲子園から去る。88年、史上最強助っ人ランディ・バースの「最後の1年」を追ってみよう。
37.5ゲーム差の最下位「オレたちゃ、ふらふら虎だ」
日本一後の阪神は86年に3位に滑り込んだものの、87年は球団ワーストの83敗を喫し、勝率.331で首位巨人と37.5ゲーム差の最下位に沈んだ。主砲の掛布雅之は開幕前に飲酒運転事件を起こし、オーナーから「大バカで幼稚な男」なんて激怒され、本職でも腰痛に悩まされ打撃不振に陥ってしまう。バースは当然のように3割30本をクリアしたが、この年にロッテから中日へ移籍してきた落合博満とのセ・パ三冠王対決は、落合の最高出塁率獲得のみに終わる。