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「ぶん殴ってやりました」木谷オーナーに強烈ビンタ…“運命の闇墜ち”を遂げたスターライト・キッドが目論む「岩谷麻優超え」
posted2021/10/20 17:01
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「変な感じなんです」
“闇墜ち”中の黒い虎スターライト・キッドはこう切り出した。キッドの手にはスターダムのハイスピード王者のベルトがある。このベルトはもともと井上京子によるNEO女子プロレス(2000年旗揚げ・2010年解散)のタイトルで、そこからスターダムに移ったという経緯があり、今でも「NEO」の文字が刻印されている。
キッドの0歳から10歳ごろの記憶には、その頃のNEOが鮮明に残っているという。筆者は「0歳?」と驚いたが、キッドの説明を聞いて納得した。
「もともとお母さんが全女(全日本女子プロレス)の追っかけでした。NEOでも井上京子さんを追いかけていて。だから家には女子プロレスのDVDがいっぱいありました」
1人で後楽園ホールに通った中学時代
「ハイスピードのベルトってNEOのベルトじゃないですか。それを今、自分が巻いているから、変な感じ。私がスターダムを1人で見に行ったときに、そのベルトをコグマが取っていた」
キッドはハイスピードというベルトに因果というか、運命的なものを感じている。
「コグマとは練習生の時に少しかぶっているけれど、本当にちょっとしか話をしたことはない。どこか遠い存在。すごい天才というのは聞いていたし、ビデオも見たし。ハイスピード・ジーニアスと呼ばれている。でも、今のチャンピオンは私。過去のチャンピオンを倒したい気持ちがある。いずれはコグマともやりたい、ハイスピードのベルトを賭けて」
母親に連れられてNEOの試合会場に通っていたキッドだったが、自分がプロレスラーになるとは思ってもいなかった。
「見ている側だったから、『すごいなあ』と思うくらいで。私は田村さま(田村欣子)が好きだった」
頻繁に観戦していたのに、NEOが解散してからはプロレスをしばらく見なくなった。
2014年6月スターダムのリングで行われた夏樹☆たいようの引退試合に、久しぶりにまた連れて行ってもらった。夏樹はNEO時代、初代ハイスピード王者になって、スターダムのリングでもそのベルトを巻いていた。
「夏樹さんの引退試合の翌年、2015年2月22日、後楽園ホールにスターダムを見に行って。調べたら小中学生1,000円のシートがあって、『わ~、安っ! 1人で見に行けるじゃん!』って」
キッドはその翌月も1人で後楽園ホールに行った。
「(紫雷)イオさんはNEOにも上がっていましたから知っていたけど、キッズ・ファイターのあずみちゃん(当時・現AZM)とかもいて。『ああ、そんな年齢でもできるんだ。体動かすのも好きだし、ちょっとやってみようかな』と」
キッドは履歴書をスターダムの事務所に送った。すぐに練習生になった。所属選手が少ない時期だったので、約半年でデビューできた。