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「観客は僕を驚かせた」“なぜかファン人気がない王者”ジョコビッチが決勝のベンチで涙した理由〈全米OP〉
text by
秋山英宏Hidehiro Akiyama
photograph byHiromasa Mano
posted2021/09/14 17:05
全米OP決勝でメドベージェフに敗れ、ジョコビッチは史上3人目となる年間グランドスラムを逃した
「僕のキャリアの中で最も重要な試合になるだろう。最後の試合だと思って戦う」
メンタル面での準備は万全だった。ところが、歴史を作る重圧は、ジョコビッチをもってしても制御不可能なほど巨大だった。
ラケットをコートにたたきつける場面があった。いつもなら、こうしてフラストレーションを吐き出し、別の選手に生まれ変わる。いや、「別の選手」は逆転をくらった対戦相手の視点で、ジョコビッチにしてみれば本来の自分に戻るだけなのだ。しかし、この決勝に限っては、ラケット破壊は自我を混乱させただけだった。
偉業と引き換えに得た「ファンからの愛」
終盤、印象的な場面があった。チェンジエンドでベンチに戻ったジョコビッチは、タオルに顔を埋めた。よく見ると、その体は小さく震えている。
調子は戻らず、間違いなく終わりが近づいていた。すると観客は、ジョコビッチに盛大な声援を送り始めたのだ。もっと試合を見たい、歴史が変わる瞬間が見たい、という思いだろう。ただ、劣勢のジョコビッチを勇気づけよう、励まそうという意志がこもっていたのは間違いない。ジョコビッチはこの応援を涙で聞いていたという。
「さまざまな感情が押し寄せていた。悲しい気持ちもあった。多くが懸かっていただけに、敗北を飲み込むのは大変だった。でも一方で、人生で感じたことのないものを感じていた。観客は僕を驚かせた。予期していなかったほどの応援やエネルギー、愛を受け取った。一生忘れないだろう。押し寄せた感情やエネルギーの強さは、グランドスラムを21回制覇したのに等しいほどだった」
ジョコビッチが明かした涙の理由だ。偉大な実績と前人未踏の記録を残してきたが、それに見合うだけの人気は得ていない。フェデラーやナダルと対戦すれば、自分が彼らほどファンに愛されていないことに気づいただろう。だが、このとき、ファンが「自分の心に触れて」くれたと初めて思えたのだ。
ファンとの和解、これが年間グランドスラムの偉業と引き換えにジョコビッチが得たものだった。
「ジョコビッチは2度殺さなくては勝てない」
この5月で34歳になった。強さは健在だが、キャリアの終わりは確実に近づいている。どんな最終章が訪れるのだろう。