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芸能界からプロレスへ 「圧倒的にみんなを幸せに」“傾奇者”ウナギ・サヤカが目指すのは「スターダムのアイコン」《特別グラビア+インタビュー》
posted2021/09/11 06:00
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Takuya Sugiyama
ウナギ・サヤカが芸能界からプロレスへの挑戦を決めた時、そこには「踏み台にしてやろう」という気持ちもあった。グラドルでYouTuberで“現役女子プロレスラー”。麻雀でいえば1翻プラス、キャリアにより箔がつくと考えていたのだ。
だが実際に東京女子プロレスでデビューしてみると想像していた以上に楽しく、プロレスに夢中になった。試合のたびに「今日はどんな面白いことをしてやろうか」と考えていたそうだ。勝ち負けよりも観客に喜んでもらうことが大事だった。
「その日からです、お酒をやめて減量を始めたのは」
新人として“若手枠”の中で試合をしていた「うなぎひまわり(当時のリングネーム)」にとって転機になるかもしれなかったのが「忘れもしない2019年10月5日、新木場1stRINGでの山下実優戦」だ。山下は団体1期生にして初代シングル王者。不動のエースである。
山下は若手と対戦すると実に懐の深い試合を見せる。グラウンドの攻防にしろコミカルな展開にしろ、まずはやりたいようにやらせ、相手の土俵に乗ってすべて受け止める。その上で弱点を突き、闘いの厳しさを叩き込んでいく。デビューから9カ月、うなぎも山下との試合で多くを学ぶことができるはずだった。
だがこの試合はヒジの負傷でレフェリーストップに。本格的な攻防に入る前にアクシデントで試合が終わってしまった。復帰は翌年7月。春先に道場での練習を再開したが、以前できていたことがまったくできなくなっていた。体力も落ちて何をやってもきつい。もの凄いショックだった。
「家に帰って大号泣しました。その日からです、お酒をやめて減量を始めたのは」
1カ月で10kg以上、11kg近く体重を落とした。世の中では新型コロナウイルスが感染拡大。最初の緊急事態宣言でマット界も興行がストップした。
「全レスラーが試合できないっていう、史上初の事態になったんです。休まざるをえないのは私だけじゃない。長期欠場してきた私としては、これをチャンスにするしかないと」
こうなると「体育会系気質」に火がつく。中学生時代はシンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)で活躍し、強化選手としてオリンピックを目指す道もあったという。高校3年間はチアリーディング部。全国優勝を果たしている。
もっとプロレスにのめり込みたい。そう思うようになった時、視界にスターダムが入ってきた。業界最大の女子団体。試合数も多い。ジュリアと中野たむのライバル対決を見て、その激しさに心を奪われた。すでに30歳をすぎていたから、もう“若手”としてゆっくりチャンスを待っているわけにもいかなかった。
9月に東京女子を退団すると、11月からウナギ・サヤカとしてスターダムへ。始まったのは怒涛の日々だ。試合のダメージが癒える間もなく次の試合。地方巡業も多い。リング上では次から次に新しいハードルがやってきた。
“7番勝負”ではひたすらボコボコにされた
中野たむ、白川未奈とコズミック・エンジェルズ、略称コズエンを結成すると12月にアーティスト・オブ・スターダム王座(6人タッグ)を獲得する。白川が負傷欠場すると、2月にはシングルマッチ7番勝負を敢行した。