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《2000本秘話》栗山巧を“劇的に変えた”プロ2年目の引っ張り禁止令…田邊コーチが語る“粗削り時代”とずば抜けていた才能
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph bySaitama Seibu Lions
posted2021/09/05 11:03
2000安打を達成した西武・栗山巧(38歳)。プロ20年目、球団の生え抜き選手としては初の快挙となった
シーズン中はもちろんだが、キャンプ中の練習が特にハードだった。まずアーリーワークでマシン打撃を行う。その後、全体練習中の“打回り”と呼ばれるすべての打者が行う打撃練習では、自分の順番以外も栗山だけ1人、場所を移して左方向へ打つティー打撃を行った。全体練習が終わったあとには居残りの特打、そして夕食後の夜間練習。常にバットを握り、左方向へ打つ練習に励んだという。
田邊コーチにその指示の真意を聞いた。
「当時のクリ(栗山)は、パワーはありました。それを自覚していたせいか、自分では良かれと思ってボールを引っ張りに行くんだけど、正直言って引っ張り切れていない。たまたま振り遅れて左中間に打球が跳ぶとか、そういうバッティングを繰り返していました。このままではプロの投手に対応できないと思いました」
田邊コーチによれば入団したばかりの選手は、ほとんどが栗山のような状態で、ただ力任せに振っているだけなのだという。
「二軍で何年か反対方向を意識するようにして、インサイドアウトのバットの出方ができ始めたくらいから、自分でねらって反対方向に打てるようになったと思います。それができるようになってからは、あえて“引っ張り禁止”とは言わなくなりました。クリの場合、センスは人一倍あったので、その課題をクリアできれば、もう大丈夫だと……。あとは本人が自分の打撃にアレンジして、味をつけることができるだろう、と。とにかく最初は粗削りだったので、その力任せに振るスイングをどうにか直したかったんです」
08年にレギュラー定着、日本一に貢献
田邊コーチの思惑通り、栗山は04年の一軍昇格後、徐々に頭角を現すこととなる。
04年の初出場のあと、05年からは一軍出場を増やしていき、08年にはレギュラーに定着。その年はパ・リーグのシーズン最多安打を記録してライオンズの日本一に貢献した。
栗山は振り返る。
「田邊さんに指導された“引っ張らず打球をレフト方向へ打つ”というバッティングが、自分の打撃のベースになっていると気付いたのは、一軍に上がって4年目くらいです。
ヒットの数が増えたのはもちろんなんですが、ボールの見極めができるようになりました。ボールを見られる時間の長さが、僕にとっては劇的に変わりました。プロの投げる変化球、フォークやひざ元に来るスライダーなどは、少しでもボールを長く見ないと見逃せないんですよ。左方向へ意識を持つことで、ボールを長く見られるようになって、ボール球に手を出さなくなった。そういうことを含めて、結果的にヒットが増えたと思います」