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〈メジャーで復活〉筒香嘉智が語る「横浜高校の主砲」時代… 小学1年で憧れた「松坂さん」と、名将・渡辺監督が“唯一助言したこと”
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/08/31 06:01
横浜高校からベイスターズの主砲になった筒香嘉智。パイレーツでも再び豪打を見せている
横浜高校に行きたいという憧れ。
和歌山県出身の筒香が神奈川県の横浜高校に進学したのは、筒香が高校へ入学する9年前に起きた死闘が強く影響している。
1998年8月20日。甲子園球場のスタンドには父親に連れられた小学校1年生の筒香少年がいた。生まれて初めて生で観戦する夏の甲子園大会。その試合が横浜高校対PL学園による伝説の「延長17回の死闘」だったことは、世代を繋ぐ逸話としては出来すぎている。
「準決勝(明徳義塾戦)も決勝(京都成章戦)も観に行きましたけど、あの時は僕の年齢が小さすぎたので、ただ『横浜高校ってカッコいいな』『松坂(大輔)さんの人気が凄いな』というぐらいの感想だったと思うんです。明確に意識するようになったのは、中学生になってからですね。
横浜高校は松坂さんたちの後の世代の方々もずっと甲子園に出場している。そこから自分も横浜高校に行きたいという憧れを抱いていましたけど……自分なんかが行けるわけがないと、そう思っていました」
中学時代、ボーイズリーグ選抜の世界大会で4番を務めるまでになった大砲は、数多の強豪校の誘いを蹴って、憧れの横浜高校へ進学を果たした。
「筒香ネット」が新設されたほど。
当時の横浜高校の監督、渡辺元智は入学時の筒香を振り返る。
「素質は一級品ですよ。1年生から4番を打たせたのは、紀田彰一(元横浜)以来でしたが、長距離打者としての才能は筒香が上。左だけでなく右打席でも打てる(高校通算69本塁打のうち2本は右打席)。さらに『横浜高校に行く』と一度決めたら貫き通すようなね、そんな意志の強さというものが当時からありました。
目標を据えたら、黙っていてもそこへ向かって地道に努力を重ねる。人の悪口は絶対に言わないような人間性もあり、相手投手などを意識するよりも、常に自分と戦っていたのだと思います。ただ、寡黙でね。自分の考えを表に出さない。そこが不安ではありました」
打撃練習をすればライトスタンドはおろか、高さ12mのネットをも越えて行くため「筒香ネット」が新設されるなど豪打を連発し、1年生から4番を任された筒香。それでも驕ることなく、横浜高校の先輩たちに羨望の眼差しを向けていた。
「4番を打ったといっても、本当にただ打たせてもらっていたというだけ。先輩たちがやりやすい環境を作ってくれたので思い切りプレーができました。2つ上には高濱(卓也、ロッテ)さん。1つ上には倉本(寿彦、DeNA)さん、土屋(健二、元DeNA)さんら凄い先輩たちが近くにいて、自分と比べてもすべての面において違いすぎると感じていましたし、ああいう風になりたいと憧れていました。入学当初は、上級生がみんなオジサンに見えましたけどね(笑)」