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《金メダル第1号》パラ競泳・鈴木孝幸が目指した“ロナウド級の腹筋”とは? 草なぎ剛との対談で話していた野望 

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2021/08/26 20:00

《金メダル第1号》パラ競泳・鈴木孝幸が目指した“ロナウド級の腹筋”とは? 草なぎ剛との対談で話していた野望<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

東京パラリンピックで金メダルを獲得した鈴木孝幸。1年前に実現した草なぎ剛との対談で本番への抱負を語っていた

「できることを最大限やる」という思考

鈴木 6歳くらいですね。最初は競泳目的ではなくて、水泳の授業のとき、プールで溺れないように習わせたそうです。

草なぎ それがメダリストへの第一歩だったんだ。鈴木選手はリオまで4大会連続出場で、今年は金メダルを狙っていたと思います。1年延期になってモチベーションの維持は難しかったんじゃないですか。

鈴木 3月の選考会が直前で中止になった時には正直、落ちました。メンタル面もフィジカル面もベストに近い状態だったので、1週間くらいは不安定で。ただそれから1年延びることが正式に決まって、今は切り替えられています。

草なぎ 仕方がないとはいえ、悔しいですよね。僕らも舞台公演やファンミーティングが中止になりました。アスリートの方々とは違いますが、準備をしていたものがなくなったという点で似ているところもある。

鈴木 この1年をどう過ごすかは凄く大事だと思います。あと、この状況は障がいと通じると感じているんです。

草なぎ どういうことですか?

鈴木 ステイホームでできることが限られていましたよね。僕の場合、なるべく健常者と同じように生活するにはどうすればいいか、小さい頃から考えてきました。つまり「できないけれど、その中でできることを最大限やる」という考え方に慣れているんです。早めに切り替えることができたのも、それが活きた気がします。

草なぎ 思考法が身についているんですね。

鈴木 日本だけの話ではなくて、世界中誰もが同じ状況に置かれているというのもありますね。現状を受け入れざるを得ないですから。

草なぎ パラリンピックを目指していた選手たちは4年間も準備して、東京を集大成にしようと考えていた選手も多かったはず。

鈴木 僕も「パラリンピックは最後かな」と漠然と考えていました。今も技術面は伸びていると思いますけど、'24年のパリまで気力が持つかどうかわからなかったので。

草なぎ お話聞いていると、まだまだいけそうですけど……。

クラスが変わると世界が変わる

鈴木 リオでメダルを逃してから、実は年齢以外にも、もうひとつ大きな変化があって、'18年にパラ水泳のクラス分けの大規模な変更があったんです。

草なぎ たくさんのパラアスリートの方にお話を伺っていますけど、難しいですよね、クラス分け。

鈴木 やっている僕もよくわかっていません(笑)。クラスが変わる、ということが僕も初めての経験だったので。変更になったのは自由形などで、もともとS5クラスに所属していたのが、S4クラスになりました。つまり、1段階重い障がいのクラスになったんです。もともとS5の中でもS4に近いボーダーラインにいたんですが。

草なぎ 競技にも影響が出るものですか?

鈴木 クラスが変わると世界が変わる、というのは事実です。競技人生変わっちゃいますね。実際、僕は今までよりも重い障がいを抱える相手と戦うことになって、自由形でメダルを目指せるようになりました。だから変更がいい方向に作用しましたけど、逆のケースもあります。パラリンピックの常連だった選手が、1つ軽いクラスに変わったことで出場すらままならなくなってしまったり。

草なぎ 確かに、格闘技を観ていても、階級が違うと数kg差なのに全く違います。

鈴木 身体機能が変動するような選手は定期的にクラス分けを受けたりしますが、僕の障がいは変わりようがない。競泳を始めてからは15年間、同じクラスでした。

【次ページ】 来年までにはロナウド級の腹筋に?

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