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《金メダル第1号》パラ競泳・鈴木孝幸が目指した“ロナウド級の腹筋”とは? 草なぎ剛との対談で話していた野望

posted2021/08/26 20:00

 
《金メダル第1号》パラ競泳・鈴木孝幸が目指した“ロナウド級の腹筋”とは? 草なぎ剛との対談で話していた野望<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

東京パラリンピックで金メダルを獲得した鈴木孝幸。1年前に実現した草なぎ剛との対談で本番への抱負を語っていた

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Takuya Sugiyama

東京パラリンピック競泳・男子100m自由形(運動機能障がいS4)で日本人第1号となる金メダルを獲得した鈴木孝幸が新しい地図・草なぎ剛との対談で語っていたこととは? 連載『語ろう!2020へ』の記事を再公開します(初出:2020年8月17日公開/Number1007号掲載)

鈴木 今日は本当に楽しみにしていました。小さい頃からずっとテレビで観ていたので。家族もすごく羨ましがっていて、「車いす押してほしかったら言ってね」なんて。いつもはそんなこと言わないのに。

草なぎ 僕もお会いできて嬉しいです。この連載もしばらくお休みしていましたから。

鈴木 自粛期間中、草彅さんはどう過ごしていたんですか?

草なぎ 僕は愛犬に子どもが産まれたので、ずっと子犬を育ててました(笑)。

鈴木 おめでとうございます!

草なぎ 子育てに夢中で、コロナのことも一切考えませんでしたね。今になって考えれば、凄くありがたいことだったな。愛犬には感謝です。鈴木選手はどんな生活を?

鈴木 プールが使えなくなってからは、本当にずっと家にいて、室内でできるトレーニングをしていました。そもそも普段はイギリスを拠点にしているので、こんなに日本にいるのも久しぶりで。

草なぎ 帰国したのはコロナの影響で?

鈴木 そうです。3月に戻ってきました。

草なぎ イギリスも大変ですよね。しばらくは帰れないでしょう。

鈴木 向こうにいるコーチとは話をしていますけど、まだまだ難しいと思います。

7年を迎えるイギリス生活

草なぎ もともと日本から拠点を移したのはどういうきっかけだったんですか?

鈴木 3~4年のサイクルで環境を変えると、トレーニングをしたときの刺激の受け方が変わると聞いたことがあるんです。僕は2004年のアテネの時に高校3年生で、次の4年間は大学生として過ごして北京、次は社会人としてロンドン、と環境が変わっていく時期がたまたまパラリンピックと重なっていました。それで実際に結果も出すことができた。「じゃあ次はどうしよう」と考えて、イギリスに行くことを決めたんです。当初は語学を学んで、リフレッシュして1年くらいで帰ってくるつもりだったのが、もう7年もいます。

草なぎ 環境を変えるつもりが、馴染んじゃったんだ(笑)。

鈴木 僕がいるのはニューカッスルという町で、今、プレミアリーグで武藤(嘉紀)選手が所属しています。田舎ですけど、居心地がいいんです。

草なぎ やっぱりイギリスの方が、施設も整っていたりするんですか。

鈴木 いや、そんなことはないですよ。施設自体は日本の方がいいと思います。日本のトレセンのような50mプールはなくて、25mしかないですし。でも、日本にいた時はプールと、ケアと、陸上でやるドライトレーニングの場所がバラバラで、かつ会社への勤務もあって、移動に費やす時間が多かったんです。その点、イギリスは大学にすべての施設が揃っているので楽ですし、その分時間を有効に使えます。僕の場合はイギリスに移ってすぐ、タイムが伸びたこともあって、たまたま合っていたのかな。

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